社会福祉法人 信愛会

現在位置:ホーム » 3月 2016

2016年3月年

ふれあい通信4月号をアップしました(高岡デイ)
投稿日:2016-03-30 施設名:デイサービスからのお知らせ

高岡デイサービスセンターの「ふれあい通信」2016年4月号をアップしました。みんなで工作して満開の桜の木を作った時の様子や買い物に行った時の様子が掲載されています。下の“☆ふれあい通信・4月号”をクリックしてください。

 

☆ふれあい通信・4月号

 

 

 

国富JVCバレーボールチームの児童たちが訪問してくれました(たちばな)
投稿日:2016-03-28 施設名:たちばなからのお知らせ

平成28年3月28日(月)、隣町の国富町JVCバレーボールチームの小学生13名がグループホームたちばなの利用者と歌や風船バレーで楽しい時間を過ごしました。

たちばなの職員の一人がこのチームの監督をしている関係で、この日、国富町JVCのメンバー13名と父兄が訪問してくれました。小学校は今春休みです。4月から中学生になる児童もいました。

父兄がギターを演奏し、それに合わせて歌ったり、「幸せなら手をたたこう」で利用者と一緒に手足を動かしたりしました。

それから子供たちは縄跳びをしたり、逆立ちをしたり、それぞれ得意技を披露してくれました。

そして、利用者対子供たちの風船バレーの試合をしました。さすがに子供たちはバレーチームなので上手でした。あとからは子供たち3人対利用者全員でしました。

最後にギターに合わせてみんなで「翼をください」を合唱しました。利用者さんの年代にはあまりなじみのない歌ですが、美しいメロディーと子供たちの元気のいい歌声に感動しているようでした。

こうして1時間半の時はあっという間に過ぎ、最後に握手をしてお別れしました。

本当に楽しい時間でした。また、きっと来てください。ありがとうございました。

隣り町の国富JVCバレーボールチームが訪問してくれました。会場はケアハウスシャトルのホールをお借りしました

バレーボールのユニフォームで元気に訪問してくれました

歌のあとは縄跳びや逆立ちなど得意技を披露してくれました

 

 

 

 

 

 

 

 

子供たち対利用者の風船バレーの試合。子供たちがかなり手加減してくれました

最後に利用者から子供たちへノートのプレゼントがありました。握手をしてお別れです。また来てくださいね

 

 

クレープ作りをしました(シャトル)
投稿日:2016-03-28 施設名:ケアハウスシャトルからのお知らせ

平成28年3月25日(金)、ケアハウスシャトルではおやつの時間にクレープ作りをしました。

まず、ホットケーキミックスと牛乳、卵で外側の生地の素を作ります。

それをホットプレートで薄く焼き上げ、そこに生クリームと桃やみかんのフルーツをのせ、生地で巻き上げます。

生クリームもチョコ味のものやカスタードクリームなどありました。

栄養士によると、生地を作る時の材料の配合が難しく、牛乳や卵の配分をいろいろ試したそうです。

出来上がったクレープは外側が薄くパリッと焼き上がり、中はフルーツの酸味と生クリームの甘さが絶妙でした。

ご利用者も「こんなものは初めて食べた」とおっしゃる方もいらっしゃいました。

自分で作ったものを自分で食べる…いいですね。こういう機会をこれからもご用意して行きたいと思います。

今日はクレープ作りをしてみました

薄く焼きあがった生地の上に生クリームとフルーツをのせます

外側の生地を巻き上げているところです

 

 

 

 

 

 

 

 

外側のパリッとした感じと中の酸味のある甘さ。絶妙でした

 

みんな大好き生花教室
投稿日:2016-03-25 施設名:裕生園ブログ

裕生園のいきいきユニットのご利用者様は毎月行われる生花教室が大好きで、いつも心待ちにしていらっしゃいます。

昨年末に新池坊ひむか支部の原先生が正月花を活けて下さった祭にご利用者からは「色鮮やかな花使いに感動した」と話されていました。原先生有難うございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いきいき・ふれあいユニット

みやづるサービス付き高齢者向け住宅の落成祝賀会が行われました
投稿日:2016-03-23 施設名:信愛会からのお知らせ

平成28年3月23日(水)、宮崎市高岡町の宮水流(みやづる)地区に建設中だった「みやづるサービス付き高齢者向け住宅」がこのほど竣工し、完成したばかりの「みやづる」のホールで落成祝賀会が行われました。

落成祝賀会には設計・施工に携わった関係者のみなさん、設備業者のみなさん、地元住民の代表の方々、信愛会ほか辰元グループの主だった役職員等、約50名の方々が参加されました。

「みやづる」は木造平屋建て、全室個室で、36戸から成ります。料金は家賃、共益費、基本サービス費、食費込みで一月85,400円です。基本サービスにはご利用者の状況把握、生活相談が含まれています。これ以外に介護保険の各種サービスを利用したり、有料の介護サービス、家事サービスを受けることもできます。

落成祝賀会では辰元圭子副理事長が主催者を代表して挨拶しました。その中で、この宮水流地区にあった旧長寿園が平成8年に高岡町から信愛会へ運営委託がなされて以来の歴史に触れ、いかに旧長寿園が地域住民の皆さんとの交流に努めて来たか、そしてその長寿園の跡地にこのたび「みやづる」が開設され、再び地域の皆さんとの交流を深めていくつもりであることを述べました。

そのあと、設計施工に携わった関係業者の方々への感謝状と記念品の贈呈があり、地元公民館長による乾杯の御発声で会食となりました。

宴たけなわの頃、独特の音楽が鳴り出して地元の「宮崎ひょっとこ笑福会」によるひょっとこ踊りが始まりました。3歳のこどもさんもいて、盛り上がりました。同じグループの飛び入りの皿回し芸の披露もありました。

こうして楽しい歓談の時は過ぎ、最後に地元住民を代表して、長年信愛会の役員でもあった中原氏の御発声で万歳三唱してお開きとなりました。

みやづるサービス付き高齢者住宅は4月1日オープンです。その前に3月25日(金)から3月27日(日)まで見学会を開催します。どうぞご来場ください。また、見学会の期間以外でもいつでもお気軽にお立ち寄りください。

「みやづるサービス付き高齢者向け住宅」の案内チラシは → 「みやづる」オープンのお知らせ

サ高住「みやづる」の玄関

前方の小高い山から見たところ

併設のデイサービスセンター。10月開設予定

 

 

 

 

 

 

 

 

玄関ガラス戸の文字

ようこそ、「みやづる」へ!

 

 

 

 

 

 

 

 

落ち着いた雰囲気のホール

 

 

 

 

 

 

 

 

居室の様子。広いです

居室内のミニキッチン、トイレ、洗面台

 

 

 

 

 

 

 

 

ホールから中庭をみたところ

中庭には各居室から出入りできます

ホール横の介護用トイレ

広々とした浴室

落ち着いた色調の廊下。自然採光もあります

 

 

 

 

 

 

 

 

デイサービスセンターの広い空間

ホールで落成祝賀会が行われました

 

 

 

 

 

 

 

 

挨拶する辰元圭子副理事長

ひょっとこ踊りの登場です

 

 

 

 

 

 

 

 

3歳のこどもも一生懸命踊ってくれました

飛び入りで皿回しの芸がありました

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に万歳三唱して終了しました

 

 

 

 

 

 

家族とのふれあい合同レクレーションを行いました(たちばな)
投稿日:2016-03-22 施設名:たちばなからのお知らせ
平成28年3月20日(日)、グループホームたちばなではご家族も一緒に3ユニット合同のレクレーション大会を行いました。

例年、辰元グループ敷地内のナナホールで行っているのですが、この日は地域の保育園の卒園式がナナホールで開催された関係で、会場をケアハウスシャトル新館のホールに移しました。

開会式のあと、利用者、ご家族、職員そろってラジオ体操をして体をほぐしました。

その後、まずはボーリングゲームです。ピンが重くてなかなか倒れませんでした。

次にご家族の競技で、パンくい競争です。全員参加されました。

最後に2チームに分かれて、風船バレーを行いました。皆さん、真剣にボールを追い、良く手が動いてボールを打ち返していました。ラリーが長く続き、なかなか点数が動きませんでした。競技となると、体が自然と動きますね。びっくりするほど敏しょうに反応されていました。

会場がいつもと違っていたので、終了時間も早くなりましたが、真剣な中にも笑いの絶えない、とても楽しいレクレーション大会でした。この後、利用者は各ユニットに戻り、ご家族と一緒に食事をしました。

皆さん、本当にお疲れさまでした。

利用者、家族、職員みんなでラジオ体操です

まずはボーリングゲームです。なかなかピンが倒れません

ご家族参加のパンくい競争です

 

 

 

 

 

 

2チームに分かれて風船パレーです

 

真剣な中にも笑いの絶えない楽しい時間でした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長寿園職員が県老サ協から永年勤続表彰を受賞しました。
投稿日:2016-03-17 施設名:長寿園からのお知らせ, 長寿園ブログ

 先月、宮崎市内で開催されました宮崎県老人福祉サービス大会において、会員として10年以上の永年勤続者に対して、表彰が行われました。今回は、長寿園生活相談員兼支援員の籾田瞬さんが表彰されました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(受賞者から一言)
今まで通り、目の前にあるやるべき事を1つ1つやっていけば、それが利用者さん達の笑顔につながっていくと思いますので、これからも一生懸命頑張ります。

 

長寿園が宮崎市浮田地区に移って、もうすぐ3年が過ぎようとしています。他の職員もこの表彰が受賞できる様に、職員同士で協力しながら、日々の業務を行っていきたいと思います。本当におめでとうございます。
(SMSA)

いろいろ収穫しました(たちばな)
投稿日:2016-03-14 施設名:たちばなからのお知らせ

3月に入って暖かな日がだんだん増えてきました。グループホームたちばなでは、敷地内のちいさな畑に植えてある作物を収穫しました。

今回はミズナと大根の収穫をしました。

ミズナはだいぶ生長し過ぎていました。大根は少々小ぶりでしたが、皆さん手にとってとてもいい笑顔でした。

また、次も何かを植えて、生長していくのを楽しみにしたいと思います。

ミズナの収穫。ちょっと生長し過ぎましたね

朝の気持ちのいい陽の光を浴びて作物の収穫です

大根をゲットしました!

 

 

 

 

 

 

 

 

大根を手にして皆さん笑顔です

 

 

綾町のひな山祭りに行って来ました(たちばな)
投稿日:2016-03-08 施設名:たちばなからのお知らせ

平成28年3月1日(火)、グループホームたちばなでは隣町の綾町で開催されている“ひな山祭り”に見物に行って来ました。
綾町で毎年この時期恒例となっているひな山祭りで、とても有名です。
この日は天気も良く、ドライブを兼ねたいい外出が出来ました。
もうすぐ桜の季節。桜見物も今から楽しみです。

毎年、趣向をこらしたひな山が展示されます

宝船というひな山の前で

 

 

 

高木兼寛という人がいた⑪
投稿日:2016-03-05 施設名:信愛会ブログ

(私たち社会福祉法人信愛会は宮崎市高岡町に位置していますが、ここ高岡出身で明治の日本の医学の進歩に多大な貢献をした人物がいました。高木兼寛(かねひろ)という人です。「ビタミンの父」と呼ばれていて、脚気(かっけ)の研究であの森鴎外と大論争を繰り広げた人です。)

 

吉村昭『白い航跡』(講談社文庫)の表紙に掲載されている練習艦『筑波』。多くの人々の注視する中、太平洋横断の大航海に出た

『筑波』の食事を復元した模型。パン、ビスケット、牛肉のステーキ、大豆の五目煮、牛乳、など。炭水化物を減らし、タンパク質を重視する兼寛の説に基づくメニュー(宮崎市役所高岡総合支所の高木兼寛コーナー)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 明治17年(1884年)2月3日、日本海軍の練習艦『筑波』がニュージーランド、南米チリ、ペルー、そしてハワイを経由して日本に帰って来るという太平洋横断の大航海に出航しました。前年に乗組員378名中169名の脚気患者、23名の死亡者を出した練習艦『龍驤(りゅうじょう)』と同じ航路です。

 兼寛は脚気の原因は食物の栄養バランス、すなわち炭水化物とタンパク質の異常な比率にあると確信していたので、『筑波』のメニューも炭水化物を減らしタンパク質を重視したものに定め、それを航海中、厳格に守るよう艦長達に指示しました。艦長始め乗組員達はこの実験航海の意義を十分に理解していたので、その士気は高く、食事に関する兼寛の指示通りにすることを約束しました。

 通信機器の発達した現代であれば航海中の状況もリアルタイムで詳しく知ることができますが、この時代は寄港地から手紙を船便で送るか、電信(モールス信号等)だけです。日本で待っている兼寛の心境はいかばかりだったでしょう。

 吉村昭の小説『白い航跡』には、この時の兼寛の不安にさいなまれ悶え苦しむ様が描かれています。自分の説には十分確信は持っていたものの、実験航海が終わらないうちはどうすることも出来ません。もし、自分の説が間違っていて、『筑波』も『龍驤』と同じように多数の脚気犠牲者を出したら?政府要人に働きかけて大蔵省の国家予算も特別に組み替えて、莫大な費用の負担を強い、天皇陛下にまで自説を言上したのにそれがもし誤りだったとしたら?兼寛は夜も眼が冴えて眠れず、眠りに落ちても夢を連続して見ました。『筑波』の艦内到るところに脚気患者が寝ていて、死者を白い布に巻いて海中に水葬するシーンの夢。「こんな食量表など何の役にも立たぬ。かえって患者が多くなるばかりだ!」と艦長が激怒し、兼寛が与えた食量表を怒りに満ちて破り捨てる夢。脚気のために皆が倒れ、航行に従事できる者もいなくなって、『筑波』が洋上を幽霊船のように漂っている夢…

 兼寛は食欲が衰え、痩せて頬がこけ、眼はうつろになりました。

 『筑波』は寄港地のニュージーランド及び南米チリからその都度、報告書を送って来て、それによればそこまでは順調に航海は進んでいるようでした。しかし、あの『龍驤』もそこまでは問題はなかったのです。『龍驤』が戦慄すべき数の脚気患者と死亡者を出したのは、南米からハワイへ至る果てしなく続くような太平洋の航海中でした。『筑波』はこの“魔の海域”を乗り切れるかどうか。

 この年、明治17年(1884年)の秋が日増しに深まって来ました。

 10月9日夕刻、川村海軍卿から使いが来て、兼寛は川村のもとへ向かいます。『筑波』がチリからの航海を経てハワイに着いたという報告があったとのこと。川村は『筑波』の艦長からの電信文を持っていました。

(ここからは吉村昭の『白い航跡』からそのまま抜き書きしましょう)

 “川村は、自分の前におかれた電信紙を手にした。

 近寄った兼寛は、それを受取り、電信文に視線を据えた。

 電信紙には、

 「ビヤウシヤ 一ニンモナシ アンシンアレ」

 という文字が記されていた。

 電信紙を持つかれの手が、激しくふるえはじめた。病者一人もなし…、かれは胸の中でつぶやいた。安心あれ、という片仮名文字の文章に、不意にのどもとに熱いものがつきあげてきた。

 通信文の文字が涙でぼやけたが、かれはその文字を一字ずつ眼で追いながら立っていた。歯をくいしばり、嗚咽(おえつ)がもれるのをこらえていた。”

 川村の前では必死に堪えていた兼寛でしたが、川村の部屋を出て自室にもどった彼は“ビヤウシヤ一ニンモナシ”と胸につぶやき、ついに堪えきれずに嗚咽したのでした。

 海軍省内も『筑波』艦長からの脚気患者一人もなしという電文に沸き立ちました。『龍驤』と同じように『筑波』でも悲惨な事態が起きると予測していたからでした。

 この“ビヤウシヤ 一ニンモナシ アンシンアレ”に兼寛が嗚咽するシーンは、兼寛の人生の中のクライマックスだったでしょう。脚気をどうにかしたいの一心で研究を重ね、栄養バランスに原因があることを確信。その確信を兵食改革に結びつけるために上司や関係機関、政府要人に粘り強く交渉し、国家的規模の実験航海を実現させ、その結果を待つ間の想像を絶するプレッシャー、考えただけでも逃げ出したくなるようなプレッシャーに耐えた。後年、若い軍医が兼寛に「もしあの時筑波艦内に脚気患者が発生していたら、その時はどうなさるおつもりだったのですか」と問うたところ、彼は即座に「その時は切腹してお詫びするつもりであった」と答えたそうです。ほんの10何年か前までは江戸時代だったのですから、まだこの頃は武士の気概が十分に残っていたのでしょう。

 そして、これは兼寛の人生にとってのクライマックスであったと同時に、世界の医学史の中でビタミン学がうぶ声を上げた瞬間でもありました。栄養バランスによって生じる死病があり、それはまた栄養への配慮によって予防しかつ治すことができる、ということを一国の海軍が国家予算を使って実験し証明したのです。そのインパクトは大きく、細菌学全盛の時代にあって、全く発想法の変更を迫るものでした。病原を患者の体内に探すのではなく、食物の栄養と病気との関係に光を当てることを要求するものであり、のちにビタミン学へと発展する潮流を創り出したのです。

 このように、『筑波』の実験航海はまことにあっ晴れな壮挙だったと言えるのですが、歴史はそう単純なものではありませんでした。この『筑波』の実験航海に対する日本海軍と陸軍の反応は全く対照的でした。そしてそれがそのまま日清・日露戦争時の脚気惨事へとつながって行きます。         (アッサン)

「裕生園だより」第49号(H28年2月号)をアップしました
投稿日:2016-03-03 施設名:裕生園からのお知らせ

「裕生園だより」第49号(H28年2月号)をアップしました。クリスマス会や餅つき大会、節分などの行事の写真を掲載しました。

←左の欄の「裕生園だより」をクリックしてください。

「裕生園だより」第49号(H28年2月号)をアップしました。
投稿日:2016-03-03 施設名:27年度裕生園だより, 裕生園だより

平成28年2月

1 / 11

アーカイブ

このページのトップへ