社会福祉法人 信愛会

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2015年7月年

外食に出かけました
投稿日:2015-07-31 施設名:ケアハウスシャトルからのお知らせ

平成27年7月31日(金)、ケアハウスシャトルでは外食に出かけました。
今回は宮崎市木花地区にある和食のお店に行きました。
これまでにも何回か食べに行ったことのあるお店ですが、利用者の方々に人気のお店です。
ケアハウスシャトルでは、年に数回こうして外食の機会があります。
これからも外食や買い物、ドライブ、遠足など、外出の機会をたくさん作って行こうと思います。

 

今日は宮崎市木花の和食のお店に来ました

お寿司に天ぷら…やっぱりおいしい!

浮田地区の夏祭りに参加しました。
投稿日:2015-07-27 施設名:長寿園ブログ

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今月19日に開催された浮田地区の夏祭りに、利用者さんと参加させてもらいました。

当日の天気は雨だったので、公民館内で催し物が行われました。

梅雨時期の長雨で気が滅入っていた利用者さんも

和太鼓と盆踊りを見学して、とても喜ばれていました。

前回参加した時は天気が良く、屋外で見学しましたが、今回はあいにくの雨でした。

その為、祭りに参加されている人達が公民館の玄関に集まるので、

職員だけでは移動が難しかったのですが、

浮田地区の方の協力もあり、安全に移動する事が出来ました。

浮田地区の皆さん、ありがとうございました。

長寿園のあるこの浮田地区の皆さんともっともっと交流を行って行きたいと思いますので、

今後もよろしくお願いいたします。

辰元グループ夏祭りまであと1ヶ月!!
投稿日:2015-07-14 施設名:裕生園ブログ

梅雨がなかなか明けませんが、全国的に猛暑日となったところも多く、今日はたいへん暑くなりました。さて、毎年恒例の辰元グループ夏祭りまで残すところ1ヶ月となりました。今日は夏祭りのポスター選考会が行われました。今年の出品作は出来映えのよいポスターが多く、選考に時間がかかりましたが、2枚のポスターが今年の「辰元グループ夏祭りフェスタ2015」のポスターに選ばれました!!

高岡町内の商店等に掲示されますので、ご覧下さい。

高木兼寛という人がいた⑦
投稿日:2015-07-10 施設名:信愛会ブログ

(私たち社会福祉法人信愛会は宮崎市高岡町に位置していますが、ここ高岡出身で明治の日本の医学の進歩に多大な貢献をした人物がいました。高木兼寛(かねひろ)という人です。「ビタミンの父」と呼ばれていて、脚気(かっけ)の研究であの森鴎外と大論争を繰り広げた人です。)
 明治13年(1880年)11月、兼寛は5年の英国留学を終えて日本に帰って来ました。兼寛のイギリスでの抜群の成績は既に日本にも伝えられていたので、海軍医務局は喜びとともに今後の彼の活躍への期待をもって兼寛を迎えました。兼寛は31歳の若さで海軍病院の院長に任命されます。

 イギリスにおける外科、産科、内科の医師資格と外科教授の資格を得て日本に帰って来た兼寛。彼がそこに見たものは何だったでしょう。それは、日本の医学界が海軍を除いてドイツ医学一色に染まっていたことでした。明治の初めに、これからの日本の医学の範をドイツ医学に取ると日本政府が決めたので、ドイツ医学がいわば“官学”になっていました。当時、唯一の大学であった東京大学の医学部も当然ドイツ医学を採用し、ドイツ人の医学教授を招き、ドイツ語で授業が行われていました。

 明治維新を経て、後発国として必死な思いで西洋化を推進していた日本。医学に関しても、どこかの国をモデルとして追いかけて行くことが、医学を急速に発展させて行く近道です。それがドイツでした。当時のドイツはコッホに代表されるように、細菌学の分野で隆盛期を迎えていて、世界の医学界の中でも抜きん出た存在となっていました。どこか一つの国をモデルとして選ばなければならないとしたら、ドイツという選択も決して間違いではなかったと思います。

 ただ、問題は、政府がドイツ医学を採用し、いわば“官学”となったために、ドイツ医学が“官”の権威を持つようになってしまったことです。「ドイツ医学に非ざれば、医学に非ず」というような風潮が生じて来ました。これは、現代の私達の感覚からすると奇異な感じがします。医学も含め、科学というものは普遍的なもので、どこか一つの国のものが正で、それ以外のものは否、というものではないでしょう。確かに、国によってアプローチの仕方や得意分野などに違いはあるでしょう。しかし、ドイツ医学といい、イギリス医学といい、最終的には医学という大河に流入して行くもの。ドイツやイギリス本国ではお互いの国の医学上の成果を尊重し、それを取り入れ、それが更なる発展につながっていたでしょう。それが日本に輸入されると、まるで“宗派”の争いのようになってしまい、感情的になり、そのため純粋に科学的なものの見方が出来なくなってしまうようなのです。

 イギリスで一流の医者としての知識と技量を身に着けて帰国した兼寛が、こういう状況の日本の医学界、医療界を見た時、兼寛には自分のやらなければならない課題が見えて来ました。そして実にたくさんのことを成し遂げて行くのですが、ここでは次の4つのことを挙げるにとどめます。
1.医学校をつくる。
 当時の日本の主流であったドイツ医学は学問的な研究を重視し、研究室で試験管と顕微鏡を使って病原を追究して行くというスタイルが特徴で、基礎医学に強みがあった。
 一方、兼寛が学んだイギリスでは、臨床を重視し、いかに患者と向き合い患者を治していくか、という極めて実際的な医療が中心。机上の学問としての医学、あるいは研究室の医学ではなく、それをどう実際の患者の治療に応用して行くか、に重点を置いていた。兼寛はこうした臨床重視の学校をつくることにより、一般の人々の病気や怪我の治療ができる有用な医者をたくさん世に送り出したいと考えた。
2.病院をつくる。
 兼寛が留学したイギリスのセント・トーマス病院はイギリスで最も古くからある病院で、貧しい人を無料で受け入れる“施療(せりょう)病院”でもあった。そのための経済的支援をイギリス王室から受けていて、王室との結びつきの強い病院だった。兼寛は貧しい人を無料で診るこうした施療病院を日本にもつくりたいと思った。
3.看護婦教育所をつくる。
 セント・トーマス病院で兼寛が感銘を受けたことの一つに、病院での看護婦の見事な働きぶりがあった。医学知識を身に着け、人間性にも優れた看護婦たちが医師の手足となってかいがいしく働いている姿。それもそのはず。セント・トーマス病院内にはあのナイチンゲールが創設した看護婦養成学校があり、兼寛が留学した頃は、まだナイチンゲールは存命中で、セント・トーマス病院の看護婦たちはナイチンゲールの精神を受け継いだ女性達だった。兼寛は「医師と看護婦は車の両輪」という考えを持っていた人で、このような看護婦教育所を日本につくりたいと思った。
4.脚気に本気で取り組む。
 兼寛にとっての生涯をかけてのテーマ。イギリス留学前、海軍病院に勤務していた頃からずっと気に掛かっていた未解決の問題。イギリス留学中も頭にあった。そして、イギリスで大きなヒントを得る。それは、日本であんなに恐れられていた脚気が、イギリスでは全く見られないこと。イギリスの医師も脚気について全く知らず、関心もない。これは後に、脚気が細菌から来るものなのか、それ以外に原因があるのかを考える際に一つの大きなヒントになって行く。

 以上、兼寛の取り組みを4つ挙げましたが、そのいずれもが実現し、今日までその成果が続いています。1の医学校については、成医会講習所を創設し、それは今日の東京慈恵会医科大学に発展しています。2の病院については、有志共立東京病院を開設し、それは今日の東京慈恵会医科大学附属病院へ、3の看護婦教育所については、有志共立東京病院看護婦教育所を開設し、それは今日の慈恵看護専門学校へとつながっています。これらはそれぞれにその創立とその後の展開について大変興味深い歴史、エピソードがあり、それだけで物語になりそうです。興味のある方は、講談社文庫の吉村昭著『白い航跡』や東京慈恵会医科大学の松田誠名誉教授の一連の文章を読まれることをお薦めします。松田誠名誉教授の文章はインターネットから見ることができます。
 4の脚気への取り組みについて。この脚気への取り組みを通して、兼寛はビタミン発見への道を大きく切り開いて行くことになります。そして、世界でビタミン学を学ぶ人がいる限り、高木兼寛(Kanehiro Takaki)の名前はこれからも記憶されて行くでしょう、それほどのインパクトのある業績を成し遂げることになります。
 いよいよヤマ場に差しかかって来ました。果たしてこのブログがそのテーマの重量に耐えられるかどうか心配ですが、高木兼寛の奮闘のほんの一部分だけでもお伝えしたいと思います。                    

イギリスのセント・トーマス病院の敷地内にあるナイチンゲール・ミュージアムの玄関。セント・トーマス病院内にはナイチンゲール創設による看護婦養成学校があり、兼寛が留学していた頃、ナイチンゲールはまだ存命中だった(辰元病院院長川﨑渉一郎氏撮影)

ナイチンゲールの胸像(川﨑氏撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(アッサン)

8月6日(木)に家族会を開催します。
投稿日:2015-07-09 施設名:長寿園からのお知らせ

毎年開催しています家族会を今年は、8月6日(木)に行います。

利用者さんのご家族の皆さん。

ご参加の方、よろしくお願いします。

 

収穫したジャガイモでカレーをつくりました
投稿日:2015-07-07 施設名:たちばなからのお知らせ

平成27年7月1日、グループホームたちばなでは、先日庭の畑から収穫したジャガイモを使ってカレーを作りました。
自分たちで育てたジャガイモを自分たちで調理し食べるというのは、やはり格別ですね。
「おいしい、おいしい」と皆さんの食欲がいつもと違ったようでした。
これからも可能な限り、自分たちが育てた旬のものを、とれたてのうちに食していこうと思います。

たちばなの庭の畑から収穫したジャガイモを自分たちで調理していきます

おいしいカレーが出来上がりました。自分たちで収穫したジャガイモは格別のおいしさです。いつもより食が進みました

防災用にトランシーバーを購入しました
投稿日:2015-07-02 施設名:ケアハウスシャトルからのお知らせ

平成27年7月2日、施設の防災用にトランシーバーを購入しました。

毎年、施設における総合防災訓練を行っていますが、毎回反省会で出ていたのがトランシーバーの購入希望でした。

非常災害時には停電が発生し、内線電話が使えなくなります。その時、職員間の情報伝達、情報共有が難しい問題になってきます。

トランシーバーが複数台あれば、充電式なので停電でも使えますし、複数台同時に通話が出来るので、情報の共有もいっぺんに行うことができます。

非常災害時、不明者捜索時、夏祭りのような大規模戸外行事、などなど、いろいろな場面で活躍できそうです。職員の誰もが使えるように普段から訓練して行きたいと思います。

防災用としてトランシーバーを購入。以前から購入希望が出ていました。非常災害時、不明者捜索時、夏祭りのような大規模行事などの際に威力を発揮しそうです

辰元グループ敷地内にコンビニがオープンしました
投稿日:2015-07-01 施設名:信愛会からのお知らせ

平成27年7月1日(水)、辰元グループの敷地内に待望のコンビニショップがオープンしました。これまでも辰元病院内に小さな売店はあったのですが、品揃えが限られていました。

職員数も増え、敷地内の有料老人ホームやケアハウスの元気な利用者さん達も増えて来たので、こうしたコンビニが待望されていました。

ご利用者へのサービス向上、そして職員への福利厚生の意味を持つこのコンビニ。大きく育って行って欲しいです。

 

辰元グループ敷地内に待望のコンビニショップがオープン。ひときわ目立つ明るい外装

お弁当コーナーも充実。職員にとってはすごくありがたいです

その他の品揃えも充実

有料老人ホーム「宮崎しんあい」の対面に位置していて、入居者には大変便利です。また、職員駐車場への行き帰りにあるので、職員にとっても便利です

 

 

 

 

 

平成26年度の決算書等をアップしました
投稿日:2015-07-01 施設名:信愛会からのお知らせ

社会福祉法人信愛会の平成26年度の決算書等をアップしました。

アップしたのは次の通りです。

①現況報告書(平成27年4月1日現在)

②財務諸表(平成26年度)

・資金収支計算書及び資金収支内訳表

・事業活動計算書及び事業活動内訳表

・貸借対照表及び貸借対照内訳表

詳しくは上部右の「情報開示」のタブをクリックしてください。

(財務諸表中、前年度分の数値が表示されていませんが、これは平成26年度からそれまでの会計基準から“新”会計基準に切り替わり、科目や計算方法に一部変更が生じ、単純に比較ができなくなったためです。平成25年度分の財務諸表については、別に掲載しておりますので、そちらをご参照ください)

社会福祉法人信愛会現況報告書(H27年4月1日現在)
投稿日:2015-07-01 施設名:平成26年度情報開示

社会福祉法人信愛会現況報告書(H27年4月1日現在)

社会福祉法人信愛会資金収支計算書及び資金収支内訳表
投稿日:2015-07-01 施設名:平成26年度情報開示

社会福祉法人信愛会資金収支計算書及び資金収支内訳表(H26年度)

社会福祉法人信愛会事業活動計算書及び事業活動内訳表(H26年度)
投稿日:2015-07-01 施設名:平成26年度情報開示

社会福祉法人信愛会事業活動計算書及び事業活動内訳表(H26年度)

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