信愛会ブログ
年末の風景~クリスマス会、餅つき大会
令和元年の年の瀬も押し詰まってきました。
クリスマス会や餅つき大会など、年末の行事が相次いで行われました。
12月25日(水)には、特養裕生園、ケアハウスシャトル、グループホームたちばな合同のクリスマス会が行われました。
地元の飯田老人クラブの皆さんもご招待して、オカリナフレンズによる優しい柔らかな音色のオカリナの合奏でクリスマスソングを楽しみました。
27日(金)には、餅つき大会が行われました。
「よいしょ!」「よいしょ!」の掛け声が響く中、元気いっぱいのもちつきでした。
利用者さん達も職員の加勢をもらってもちをつきました。
きねの重さにびっくりされている方が多かったです。
平成から令和に変わった今年。
いろいろなことがありました。ありがとうございました。
来年も皆様にとってすばらしい一年でありますように!
「第17回ビタミン街道歩こう会」参加記
令和元年11月23日(土)勤労感謝の日、第17回ビタミン街道歩こう会に参加しました。これは宮崎市高岡町の高木兼寛顕彰会が毎年この時期に開催しているイベントで、高岡町穆佐(むかさ)地区出身の高木兼寛にゆかりのある場所を歴史講話やゲームを交えながらゆっくり散策するものです。高岡町及び近隣地区から老若男女約50名の参加者でした。
今年は雨が心配されましたが、途中ぱらっときただけで、幸いまとまった雨は最後まで降りませんでした。
午前9時に高岡温泉「やすらぎの郷」をスタートし、旧穆佐小学校に向かいました。グランド横にある高木兼寛先生顕彰碑について顕彰会役員の方の説明を聞きました。
その石碑のすぐそばに穆佐城址に登って行く山道があり、私たちはそこから今度は穆佐城址へ向かいました。
穆佐城の歴史は古く、説明によると、足利尊氏の時代には存在していたようです。
城の建物は残っていませんが、場内の区画である「曲輪(くるわ)」址が残っていて、防御性を高める「堀切(ほりきり)」など興味深い箇所もありました。
次に私たちは穆佐城址のある小高い山の反対側に出て、高木兼寛生誕の地と言われている地区に向かいました。
坂を登っていくと「穆園(ぼくえん)ひろば」があり、高木兼寛の業績について顕彰会の役員の方の説明がありました。また、子供たち向けの宝探しゲームもありました。そして高木兼寛の像の前でみんなで集合写真を撮りました。
お昼が近づいてきたので、私たちは坂を下りて小山田コミュニティーセンターに向かい、そこで昼食をとりました。
昼食では、高木兼寛の代名詞とも言える“麦飯”が配られました。
明治時代、国民病と恐れられた脚気(かっけ)撲滅のため麦飯の効用に着目し、日本海軍の兵食改革を断行して兵士の命を救い、のちのビタミン発見のきっかけを作った高木兼寛の偉業をみんなで偲びました。
昼食後は高木兼寛にまつわるクイズゲームやなつかしい歌をみんなで歌って楽しみました。
非常に印象的だったのは、「茸(たけ)狩りに」という高木兼寛の短歌に地元の音楽の先生が節をつけた歌があり、それを今回参加していた高岡中学校の生徒さんたちがその場のリクエストで合唱してくれたのですが、その澄んだ歌声にみんなが感動し、拍手喝采、「アンコール!アンコール!」の声が沸き上がったのでした。
昼食休憩のあと、次に私たちは穆佐神社に向かいました。
薩摩藩の郷士だった高木兼寛の父の生業は大工だったのですが、この穆佐神社も高木兼寛の父が建造したと言われています。
幼い兼寛少年ももしかしたら手伝ったかもしれないという話を顕彰会の中山会長がされていました。
穆佐神社に隣接してみかん畑があり、私たちは今度はみかん畑に行きました。
高岡郵便局の平原局長のご好意で、毎回みかん狩りが行われています。
参加者の皆さんは、あらかじめ用意してきた剪定ばさみでビニール袋いっぱいにみかんを採っていました。
重いみかんの袋をかかえて散策を続けるのは大変ということで、局長さんが軽トラックにみかんの袋を積んで先回りして運んでくれたのが有難かったです。
みかん狩りが終わると、最後の訪問先である高木家祖累代のお墓にお参りし、最初のスタート地であるやすらぎの郷に戻りました。
全員集合した後、解散式があり、最年少及び最年長完歩者が表彰され、全員に参加賞が渡されました。
すべてが終了したのはちょうど午後3時でした。
こうして、晩秋ののどかな穆佐地区をゆっくり歩き、郷土の偉人である高木兼寛ゆかりの地を訪問し、歴史講話に耳を傾け、歌やゲーム、みかん狩りをして楽しむという盛沢山の歩こう会が終わりました。
高木兼寛顕彰会の中山会長、そして歩こう会実行委員のみなさん、本当にありがとうございました。
歴史、文化、自然、そして健康…「ビタミン街道歩こう会」の名称にふさわしいイベントでした。
感染症対策研修がありました
令和元年11月13日(水)、裕生園会議室において、宮崎県立看護大学看護研究・研修センター主催の感染症に関する出前講座がありました。
これは、県立看護大の「令和元年度高齢者施設における感染対策の実践型出前研修のモデル事業」の一環として行われたもので、午後6時から裕生園館内のラウンド(視察)、午後7時から職員対象の約1時間の研修でした。
私たち職員が参加しやすい時間帯に合わせてくださり、また研修内容もあらかじめこちらが希望したものを取り上げてくださいました。
講師は、県内の医療機関で感染管理認定看護師として活躍されている6名の方々でした。
特養裕生園、ケアハウスシャトル、グループホームたちばな、みやづるデイサービスセンター、きんかん小規模多機能ホーム、裕生園訪問介護ステーションなど、信愛会のほとんどの施設・事業所から参加者がありました。
まず、インフルエンザと感染性胃腸炎に関する講義があり、その後、手指消毒やエプロン、手袋の着脱の実技演習がありました。
感染症に関する大切なポイントを端的にまとめて講義してくださり、実技演習では、蛍光塗料を使った手指消毒の実験など、印象に残るよう工夫された演習でした。
これから感染症の流行する季節に入るので、タイミングも非常に良かったです。
今年の1月2月に、裕生園ではインフルエンザの大流行に見舞われました。今回の研修をしっかり受け止め、今冬およびそれ以降の感染症に対応していきたいと思います。
宮崎市北地区の民生委員、福祉協力員の皆さんが見学に来られました
令和元年11月8日(金)、宮崎市北地区の民生委員、福祉協力員の約50名の皆さんが辰元グループの見学に見えました。
まず、ナナホールにおいて全体的な説明を聞いていただいた後、4班に分かれて、特養裕生園、ケアハウスシャトル、グループホームたちばな、老健信愛ホームの4施設をそれぞれスタート地点として巡回する見学ツアーが始まりました。
この日は気持ちのいい秋晴れで、ナナホールから一旦外に出てから各施設に移動しました。
同一敷地内にいろいろな種類の施設がそろっているのが私たち辰元グループの特徴です。
見学者の皆さんは比較的短時間のうちに4つの施設を順番に見学され、施設の種類ごとに規模や雰囲気、中にいらっしゃる利用者さんたちの要介護度の状況を実際に見ることができたので、施設の種類による違いを体感できたのではないでしょうか。
宮崎市北地区で地域住民の方たちに福祉活動をされている皆さんにとって、今回の見学が今後の活動に何らかの参考になれば幸いです。
裕生園、シャトル、たちばな合同の敬老会が開催されました
令和元年9月7日(土)、午前10時30分から、辰元グループ敷地内のナナホールにて、特別養護老人ホーム裕生園、ケアハウスシャトル、グループホームたちばな合同の敬老会が開催されました。
心配された雨も少しぱらついただけで、会場のナナホールまでの移動にはそれほど影響はありませんでした。
裕生園、シャトル、たちばなのご利用者とそのご家族、そして各施設の職員の総勢約220名の合同敬老会となりました。
以前は裕生園のホールで行っていたのですが、最近はナナホールでの開催となっています。
広さに余裕があり、音響システムもいいので、私たち施設職員にとっても大変助かっています。
今年の敬老会では辰元圭子副理事長が主催者挨拶を行い、ご来賓の宮崎市高岡地区民生委員協議会副会長の川畑保弘氏にご祝辞をいただきました。
また、戸敷正宮崎市長からの祝電披露もありました。
余興では、「あーふクラブ」による中国の伝統楽器“二胡”の演奏、そして「宮崎市東花ヶ島ジーメンひょっとこ」による楽しいひょっとこ踊りが披露されました。
最後に全員で『ふるさと』を合唱し、万歳三唱して今年の敬老会が終了しました。
みなさん、敬老祝賀会、本当におめでとうございました!
フィリピン人ケアワーカー受け入れセミナーが行われました
令和元年8月23日(金)午後3時から辰元グループ敷地内のナナホールにて、「フィリピン人ケアワーカー受け入れセミナー」が行われました。
これは辰元グループの一般社団法人辰元会が主催したもので、県内の介護保険施設に案内を出し、30数名の参加者がありました。
フィリピンで日本語学校や実習生送り出し機関を運営しているアリステオ・ビラヌエバ氏(Aristeo C. Villanueva氏)が来宮するのに合わせ、フィリピンにおける日本語教育や日本への実習生・労働者派遣の実情について講演をしていただきました。
ビラヌエバ氏とのパイプを持つ宮崎総合学院の事務局スタッフからも、学院における留学生や技能実習生・特定技能労働者の受け入れに関する説明が行われました。
外国人労働に関する制度的な説明会はこれまでにもいろいろなルートを通じてたびたび行われて来ましたが、実際に外国人を送り出している側からの説明の機会はあまりなかったので、今回のセミナーは大変貴重なものでした。
ビラヌエバ氏自身も日本での生活経験があり、大変流暢な日本語で講演されました。
印象的だったのは、ビラヌエバ氏が「皆さんはフィリピン人を受け入れる準備が出来ていますか?」という大変ストレートな質問を参加者に投げかけたことでした。
私たちは現在の介護人材不足の窮状から抜け出したいがために、とにかく早く外国人を一人でも受け入れて、介護現場の労働力として力を発揮して欲しいと願うあまり、受け入れ準備のことまでしっかり考えていなかったのではないか、とどきりとさせられました。
一口に外国人と言っても、フィリピン、ベトナム、インドネシア、ミャンマー…と、国によって文化も歴史も宗教も国民性も違っています。
その外国人を受け入れようとしている私たちは、いったいその国のことをどれほど知っているのでしょうか。
もちろん、実際に一緒に働いてみて徐々にお互いにわかってくる部分も大きいとは思いますが、やはりある程度の準備は必要でしょう。
日本にやってくる外国人も一人の人間であり、家族がいて、こころがあります。
当たり前のことですが、外国人獲得競争の中でその当たり前のことをつい見失いがちになります。
ビラヌエバ氏の言葉はそのことに気づかせてくれました。
日本のこと、日本人のことを良く知っているビラヌエバ氏はこうも言いました。
「仕事と家族とのどちらかを選ばなければならない時、フィリピン人は家族を選ぶ」
これは、日本人が仕事を選びがちなこと、そこに独特の美学さえ感じていることを氏が知っているからこその言葉だと思います。
また、ほとんどの日本人はこれまで、外国人労働者をマネジメントした経験がないということも氏の懸念するところです。
そこでフィリピンにある氏の学校では、4日間の日程で、日本の現場指導者層を対象としたマネジメント研修プログラムを組んでいて、日本人がフィリピン人の部下を持った時に留意すべきことを実際にフィリピン人と接する中で学べるようにしています。
このように、送り出す側からの視点にも気づかせてくれた今回のセミナーは大変意義あるものだったと思います。
今後、ますます少子化・高齢化が進み、高齢者をケアする側の人口の割合が加速度的に少なくなっていく日本で、外国人が日本の介護の少なからぬ部分を担うことが当たり前になって行くのは逆らうことのできない時代の流れでしょう。
私たちは遠い将来のことも見据え、お互いがウィン・ウィンの関係になるよう、焦らず、拙速に気をつけて、覚悟を決めて取り組んでいくべきだ、という思いを深くしたセミナーでした。
辰元グループ夏祭り「フェスタ2019」が行われました
令和元年8月10日(土)、辰元病院前駐車場をメイン会場に、恒例の辰元グループ夏祭り「フェスタ2019」が行われました。
雨が心配されていましたが、幸いに開会中は一滴も降ることなく、月さえ出ていました。
祭りの最大の功労者はお天気だったと言いたいほどです。
大きな事故やケガもなく、無事終えることができました。
本部の救護班からの報告では、子供さん2、3人のかすり傷があったとのことでした。
6月半ばくらいから少しずつ準備を始め、委員会や打合せを重ね、地元の住民の方々への協力依頼、関係機関への各種申請、ボランティア団体との連絡、本番前の設営、そして翌日の後片付けなど、本当に多くの人たち、団体の協力があって始めて可能となった夏祭りでした。
特に職員スタッフは、毎年毎年の経験からノウハウが蓄積され、特に誰かの指示がなくても、各人がその場その時の機転で適切な判断をしてくれています。
各人が夏祭りの全体像を把握していて、個々のケースが全体に対してどういった位置関係にあるのか、見当がつくからでしょう。
これは、私たちの強みであり、ひとたび大規模災害などに遭遇した場合には、きっと適切で迅速な判断のもと各自が動いてくれるのではないか、と思います。
飯田自治公民館長をはじめ地元の皆さん、飯田地区の消防団の皆さん、警察・消防当局、ボランティア団体の皆さん、専門学校や高校の学生さんたち、天ヶ城保育園の園児と先生方、高岡中学校、協賛金をくださった多くの業者の皆さん、そして、最後までマナーを守ってくださった来場者の皆さん、本当にありがとうございました。
来年、またお会いしましょう!
いよいよ明日夏祭り!
明日、令和元年8月10日(土)は、恒例の辰元グループ夏祭り「フェスタ2019」です。
心配された天候も、なんとか持ちこたえてくれそうです。
飯田地区グラウンドの特設駐車場の整備も終わり、ナナホールのバザー会場もお客さんを待つのみです。
さて、明日はどんな出会いが、また懐かしい再会があるでしょうか。
利用者さん方、ご家族、地域のみなさんにとって思い出に残る楽しい夏祭りとなりますように…
災害対策用にドローンを購入
令和元年7月、災害対策用にドローンを購入しました。
これは、最近、防災関係のセミナーに参加した際、豪雨による土砂災害を被った施設の事例発表があったのですが、
土砂に押し流されて危険な場所の様子を見たり、これから発生するかもしれない場所の確認のためにドローンが有効だった話があり、
私たちの法人としても今後必要になるかもしれないとの判断で購入したものです。
操縦ハンドルにスマートフォンをさしはさんでモニタ-として使うタイプで、操縦は比較的簡単、ドローンの動きは安定していました。
危険個所の確認や、行方不明者の捜索、構築物同士の上空からの位置確認等、いろいろな場面で活用して行きたいと思います。
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裕生園、シャトル、たちばな合同の運動会が行われました
令和元年5月11日(土)、恒例の裕生園、シャトル、たちばな合同の運動会が辰元グループ敷地内のナナホールで行われました。
3施設のご利用者とそのご家族、地元の飯田地区さんさんクラブの皆さん、有料老人ホーム宮崎しんあいの入居者の皆さん、高岡地区民生委員の皆さん、信愛会役員の皆さんも参加され、職員を含めると総勢約250名の大運動会となりました。
この日は好天に恵まれ、館内は最初はそれほど暑くなかったのですが、段々皆さんの熱気で少し汗ばむくらいになりました。
みなさん、熱心に競技され、こちらが少し心配になるほど熱の入る方もいらっしゃいましたが、最後までケガをする人もなく、楽しい時間を過ごすことができました。
ホールは笑いと歓声にあふれ、身も心もリフレッシュできた2時間でした。
桜が満開。新元号が発表になりました
平成31年4月1日。
新年度が始まりました。
宮崎市高岡町の私たちの施設の周りの桜が満開を迎えています。
この日、5月からの新元号も発表され、『令和』と決まりました。
ご利用者の中には大正、昭和、平成、令和と、4つの元号を経験される方もいらっしゃいます。
1300年以上も連綿と続く元号。
聞くところによると、現在このような元号を持っているのは日本だけだそうです。
もしかしたら、私たちが知らないだけで、国によってはその国独自の年号の呼び名があるのかもしれませんが、
これだけ長く続いているのはおそらく世界で唯一でしょう。
そうした古い伝統が、高度に発達した科学技術の現代に息づいているというのは、
考えてみると驚きです。
世界で唯一、世界で最長、というのを目指したわけではないのでしょうが、
ふと周りを見回すと、結果的にそうなっている、というのが驚異です。
新しい『令和』の時代。いい時代となりますように。
宮崎県が「みやざき・ひなたの介護」ロゴマークを作成しました
宮崎県は介護の魅力を発信するためにいろいろな取り組みに力を入れていますが、このたび、その一環として「みやざき・ひなたの介護」ロゴマークを発表しました。
県内の高校の福祉科や産業デザイン科の生徒さん達の協力を得て出来上がったものだそうです。
ひなたぼっこしている時みたいなあったか~い感じが出て、とてもいいロゴマークですね。
お日さまをかたどった花の中にハートマーク。下の葉っぱの部分はハートを支えている手のようにも見えます。
私たち介護業界も介護人材の発掘・獲得のために懸命に取り組んでいるところですが、このような行政の側からのサポートは大変心強いです。
目指すところは県内地域の高齢者福祉の充実。そこに官・民の区別はないはず。
今後ますます少子高齢化が進み、お年寄り一人に対するケアする側の人口の割合が加速度的に減って行きます。
単に少子化ではなく、単に高齢化でもない。少子化と高齢化が同時に進行する日本の歴史上初めての経験です。
官・民協働で知恵をしぼり、力を合わせて行かなければ、この“国難”とも言える事態を乗り切ることは難しいと思います。
その意味で、今回県が作成したこの「みやざき・ひなたの介護」ロゴマークは大歓迎ですし、とてもありがたいです。
参考:宮崎県ホームページより https://www.pref.miyazaki.lg.jp/choju/kenko/koresha/20181227155834.html