社会福祉法人 信愛会

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信愛会ブログ

再び面会制限を行っています
投稿日:2020-08-03 施設名:信愛会からのお知らせ, 信愛会ブログ

令和2年8月に入りました。

宮崎県では7月下旬から新型コロナウイルスの感染が急速に拡大し、人口当たりの新規の感染率が全国の中でもかなり高くなっています。

そのため、信愛会の各施設・事業所では警戒のレベルを上げ、一時期緩和していました面会制限を再び厳格化しました。

ガラス越しの面会またはオンライン面会に戻りました。

ご家族の皆さんも県内の感染拡大の状況はわかっていらっしゃるので、今回再び面会制限が厳しくなったことについてご理解いただけていると思います。

職場や家庭での2次感染、3次感染も出て来ており、施設にいつウイルスが入ってきてもおかしくない状況になってきました。

施設内にウイルスを入れないことが一番ですが、万が一入ってきた時に迅速に適切な対処ができるように、ハード面、ソフト面、そして心の準備をしておかなければ、と思います。

 

面会禁止措置を条件付きで緩和しました

令和2年6月15日(月)、信愛会の各施設・事業所では、新型コロナウィルス感染拡大防止のため行ってきた利用者との面会禁止措置を条件付きで緩和することになりました。
高齢者は感染リスクが高く、全国的にも高齢者施設でのクラスター発生が報道等で伝えられています。

そのため、面会禁止を緩和することはリスクを伴い、慎重にならざるを得ません。

一方で、ご家族等は1月初めからのインフルエンザ対策、それに続く新型コロナウィルス対策で半年近く面会ができない状態が続いていました。

ガラス越しに外から面会したり、職員がご利用者の近況を写真に撮って郵送したりしていましたが、やはり直接顔を合わせることのできる機会をご家族もご利用者も心待ちにされていました。

全国に出されていた非常事態宣言も解除となり、また宮崎県では4月中旬に最後の感染者が判明してから2か月以上が経過したこともあり、このたび、条件付きではありますが、面会禁止措置の緩和となった次第です。

面会は予約制で、1回の面会は2人まで。時間は10分。検温、手指消毒、マスクの着用をしていただきます。

また、当面は県内の方のみに限定で、他県の感染状況を見ながら緩和していきます。

面会時は1m以上の距離を取り、裕生園ではテーブル上にビニールカーテンを用意しました。

先週、ご家族に文書でこの件についてお知らせしたところ、すぐに面会の予約が入りました。

やはり、みなさん、長い間会えなかったので、待ち遠しかったことと思います。

これから、第2波、第3波の可能性もありますので、周囲の状況を見ながら、かつ、ご利用者、ご家族のご希望に添えるよう、できる限りの工夫しながらご面会の機会を提供できたらと思います。
なお、県内で感染が発生した場合には、以前のようなガラス越しの面会に戻りますので、予めご了承ください。

大工仕事の得意な職員が手作りのビニールシート立てを作りました

上部の様子。鉄の輪っかに棒を通し、その棒にビニールシートを垂らしています

台座の部分。左右にぐらつかないように、三角形の羽がついています

この羽は蝶つがいで留めているので、使わない時は折りたためます。ここがオリジナルな所ですね

危機管理に奮闘した偉人―高木兼寛没後100周年
投稿日:2020-04-15 施設名:信愛会ブログ


一昨日、令和2年(2020年)4月13日は、ちょうど高木兼寛没後100年でした。

高木兼寛(かねひろ)、知る人ぞ知る明治・大正期の偉人で、日本帝国海軍軍医総監、「ビタミンの父」「日本疫学の父」とも呼ばれています。

高木兼寛の功績を記念して、イギリスの南極地名委員会が南極大陸のある岬を“高木岬(Takaki Promontory)”と名付けたことを知っている人はほとんどいないでしょう。

実は私もほんの5,6年前まで全く知らなかったのです。

高木岬の命名は1950年代だったのですが、最近になってようやく、日本の小・中学校で使われる地図帳に高木岬の名前が載るようになったとのことです。

ビタミン発見に貢献した先人たちを顕彰するために、ビタミンの命名者Funkやノーベル賞受賞者Eijkmanらとともに、高木兼寛にちなんだ地名が付けられたのでした。

 

今、私達は新型コロナウィルスの脅威にさらされていますが、明治・大正の頃、日本は原因不明の死病脚気(かっけ)に苦しめられていました。

海軍の練習艦『龍驤(りゅうじょう)』が太平洋への練習航海を行った時、乗組員378名中169名が脚気にかかり、23名が亡くなりました。

死亡者数を患者数で割った致死率13.6%。

また、死亡者数を乗組員数で割った死亡率は6.1%。

練習のための航海をするだけなのに、100人に6人は脚気で死ぬのです。

海軍軍医で海軍病院の院長だった高木兼寛は強い危機感を抱きます。

時代は弱肉強食の帝国主義時代で、日本は欧米列強の脅威に立ち向かうだけでなく、

脚気という内側の敵とも戦わなければならない状況でした。

兼寛は難病脚気を克服するために、過去の記録を精力的に調査し、ついに脚気は食事に関係があることを突き止めます。

炭水化物に比してタンパク質が極端に少ない時、脚気が発生することに気づいたのです。

その確信に基づいて兼寛は海軍上層部に兵食改革の必要性を説きますが、上層部は懐疑的でした。

ますます焦燥感に駆られた兼寛は、有力政治家や大蔵省とみずから交渉して、実験航海の実現にこぎつけます。

そこに至るまでの兼寛の気迫、情熱、使命感。

失敗したら切腹、ということまで兼寛は覚悟しました。そして…

炭水化物とタンパク質の比率を考慮した練習艦『筑波』による実験航海は、

脚気死亡者を全く出すことなく、大成功を収めたのでした。

こうして、懐疑的だった海軍上層部の信頼を勝ち得た兼寛は兵食改革を推進し、脚気を海軍から駆逐して行きます。

こうしたことについて兼寛は英語で論文を発表し、栄養と病気の関係に注目する学者が次第に増え、

それが一大潮流となって、のちのビタミン発見へとつながって行くことになります。

そのため兼寛は「ビタミンの父」と呼ばれるのです。

 

それにしても、もしあの時、兼寛が高く厚い壁の前に心が折れて引き下がっていたら、

あるいは「俺の知ったことか!」と、投げやりになっていたら、

やがて来る清国やロシアとの、国の命運をかけた戦の時、日本はどうなっていたでしょうか。

良くも悪くも、今の日本はなく、別の姿になっていたと思います。

 

さて、こうした兼寛の目覚ましい働きは、実は当時の日本では、海軍を除いて、ほとんど認められませんでした。

当時の日本は官学としてドイツ医学を採用していたのですが、

ドイツ医学はコッホに代表されるように、細菌学において世界の最先端を行っていました。

難病脚気も細菌による伝染病の一種と考える医療関係者が多かったのです。

しかも、兼寛の「炭水化物とタンパク質の比率が脚気の原因である」という説には、理論的な裏付けがない。

いわゆる“学理”がない、ということで蔑視されたのです。

更に、兼寛が推奨した麦飯に関して、麦と白米の吸収率を見た時、麦の方が吸収率が悪いので、

麦飯よりも白米のタンパク質の方が吸収量が多くなるということで、兼寛の説は矛盾していると指摘されます。

 

このような批判は非常に鋭いものがあり、兼寛も反論できないようでした。

こうした批判は一見もっともなように見えますが、しかし、大きなものが欠落しています。

それは、麦飯によって実際に脚気が激減しているという現実です。

炭水化物に対するタンパク質の比率を上げると確かに脚気が治り、予防することもできるという現象が厳としてあるのです。

兼寛の説が間違いだとしたら、ではそうした現象をもっとうまく説明する説を見つけ出そうとするのが次の一歩ではないのでしょうか。

それが、科学の進展というものでしょう。

さすがに、科学の歴史の長いヨーロッパの学者たちが一歩一歩学説を進めて行き、ついにビタミン学説にたどり着きます。

脚気はある微量の物質の欠乏により起こり、その物質をビタミンB1と呼んだのでした。

このビタミンB1はなぜかタンパク質との共存率が高く、タンパク質を多く含む食材を摂れば自然とビタミンB1を摂ることになり、兼寛の言う通り、炭水化物に対するタンパク質の比率を上げれば脚気は治ります。

つまり、兼寛の説は、医学的な理論としては正解から外れていましたが、医療的な“処方”としては、十分有効だったことになります。

ここに、医学と医療の役割の違いを見ることができます。

兵士の健康管理を預かる現場の軍医としてはそれで十分だったのであり、兼寛の実績は学術的な追究のための良質な材料を提供した格好だったのですが、

当時の日本の学者達、特にドイツ医学派の学者達は兼寛の説に対する批判に終始し、兼寛が提示したせっかくの材料を活用展開することはできませんでした。

 

このドイツ医学派の中に森林太郎がいました。

陸軍の若き軍医で、東大医学部を最年少で卒業。ドイツに留学し、コッホの研究室にも在籍しました。

イギリス医学派の海軍軍医高木兼寛に対して、林太郎はドイツ医学派、陸軍医務局の切り札のような役目を背負わされていたと言えます。

ドイツ留学中にも、林太郎は日本からの便りで高木兼寛の動向を知らされていました。

そして、ドイツ留学を終えて日本に帰ってきた林太郎。

帰朝講演の中で、林太郎は「兵食をタンパク質の豊富な洋食にすべき」という兼寛の説に対して反論を加え、兼寛のことを当てこすって「ロウスビーフに飽くことを知らざるイギリス流の偏屈学者」と呼んでしまいます。

おそらく、会場を埋めていたドイツ医学派の聴衆から大きな歓声と笑いが上がったことでしょう。

林太郎としては、ドイツ医学派・陸軍医務局の切り札としての自分の立ち場を自覚していたでしょうから、聴衆に対するリップサービスの意味もあったと思います。

しかし、この嘲笑的な集団心理がこの後のドイツ医学派の歩みを、とりわけ林太郎自身の歩みを、苦しいものにして行くのです。

のちに高木兼寛が南極大陸にその名が刻まれるほどの人物になるとは、誰もこの時点では想像できなかったでしょう。

人生は恐ろしいものであり、謙虚さは相手を敬うことでもあるけれども、何より自分を守ることでもある、ということを感じて、ひやりと身が縮む思いがします。

晩年の高木兼寛。散歩の途中でしょうか。現代人にはもはや失われた明治人の“風格”を漂わせる写真。宮崎市高岡総合支所の高木兼寛コーナーの写真より

 

この後もドイツ医学派vs.イギリス医学派、陸軍vs.海軍の対立構造は解消することなく、日清・日露の両戦争に突入して行きます。

高木兼寛の奮闘によっていち早く脚気問題を片づけていた海軍とは対照的に、白米至上主義のドイツ医学派が医務局を占めていた陸軍は、日清戦争で約35,000名の脚気患者、約4,000名の脚気死亡者、日露戦争で約211,600名の脚気患者、約27,800名の脚気死亡者を出します。

信じられない数字ですが、こうした事態は避けることはできなかったのでしょうか。これは必然だったのでしょうか。

暗澹たる気持ちにさせられます。

後世の私達は必ずやここから何かを学び取らなければいけないでしょう。

それが悲運の先人たちへのせめてもの弔いだと思います。

 

さて、森林太郎は日清・日露の両戦争に軍医として出征します。

脚気で次々に倒れて行く兵士を軍医として看て、何を思ったか。

日露戦争後、林太郎は陸軍軍医総監という陸軍軍医のトップとなり、

一方で森鷗外として『ヰタ・セクスアリス』『青年』『雁』など、

また乃木将軍の自刃を機に、『興津弥五右衛門の遺書』『阿部一族』『澁江抽斎』等を発表します。

まさに文豪として確固たる地位を占めていくのですが、

ここで誰でも疑問に思うでしょう。

鷗外すなわち林太郎はそうした名作を生みながら、あの脚気問題から完全に自由だったのでしょうか。

あれほどの惨事を、もちろん一人で引き起こしたわけではありませんが、

やはりかなりの部分で責任を問われるべき林太郎は、

文豪鷗外としての自分と、軍医としての自分の両方をどのように折り合いをつけていたのか。

折しも、ヨーロッパでビタミン学説が誕生し、様々な文献の中でKanehiro Takaki(高木兼寛)の業績への言及が目立って来ます。

それを見て、林太郎の心の中にどんな思いが生じていたでしょうか。

そういった問題意識を持って、それこそ紙背に徹するほどの眼光をもって、

鷗外の数々の作品を読んで行くと、

実はたくさんの謎が作品群に散りばめられていることに気づきます。

その、点のような一つひとつの謎を線で結んで行った時、思いも寄らぬ鷗外像が現れて来ます。

私達が普通に使う“文豪”の意味とは次元の全く異なる意味での“文豪”と言ったらいいでしょうか。

明治日本という文明史的に稀有な時代に必然だった一つの役割を、

自らの運命として引き受けて最後の遺言で完結させるまで生き抜いた林太郎・鷗外。

今年は高木兼寛没後100年だったのですが、2年後には鷗外没後100年が来ます。

今、「鷗外学」は新しい段階へと進む時期に来ているのではないでしょうか。

林太郎・鷗外もそれを100年の間、待っていたと思います。

ちょうど、『雁』のヒロインお玉のように。

晩年の森林太郎・鷗外。
孤独と苦悩の深い影を見る者に感じさせる写真。
文豪鷗外はその作品の深奥に何を秘めたのか

 

様々なことが交錯する4月
投稿日:2020-04-06 施設名:信愛会ブログ

令和2年度が始まりました。

コロナ禍はいっこうに収まる気配がありません。

明日4月7日には、政府が緊急事態宣言を出すことに決まったようです。

ここ宮崎でも、連日新型コロナウィルスの感染者が出て、

ついに二けたになりました。

このウィルスの弱点は何なのでしょうか?

日夜、世界中の研究者たちが格闘していると思います。

その答えが出るまで、私達も何とかここをしのいで行かなければなりません。

3密(密閉、密集、密接)を避け、手洗いを徹底し、

栄養と睡眠を十分とって抵抗力を保つこと。

それをどれだけのパーセントの人が自覚をもって継続的に実行できるか。

「他人事」と思っている人の多い少ないの差が、

このコロナ禍がいつまで続くかを左右するのだと思います。

そして、職務上、感染者と濃厚に接触せざるを得ない医療従事者、介護従事者に対して

行政やまわりから十分なサポートがあるか。

医療崩壊、介護崩壊となれば、感染者数、死亡者数は一気に増えるでしょう。

私達のような高齢者施設は、クラスター予備軍です。

ひとたびウィルスが入ったら、クラスター化を防ぐのは至難の業です。

おそらく全国の施設が戦々恐々としていると思います。

幸い、日本は感染スピードが他の国々よりも遅いです。

今のうちに知見を結集して、いろいろな対策をたてておくべきです。

被害をゼロにする、という時期は過ぎました。

いかに被害を最小にすることができるか、

いかにワクチンや治療薬ができるまでの時間をしのぐことができるか。

長期戦、総力戦であり、“戦略”も必要です。

厚労省から布製のマスクが届きました。職員と利用者に一人一枚の割合で来たものです。

利用者のご家族からも手作りマスクが届けられました。ギャザー付きで、裏にはガーゼ等を入れられるポケットも付いています。他にもいろいろな方からマスクの提供の申し入れが来ています。本当にありがとうございます

施設の遊歩道の桜が満開を迎えました。コロナがなかった頃の日常がいかに貴重なものだったか、今身に沁みますね


ケアハウスシャトルのご利用者さんたちが4階の窓から桜の花見です

春はもうそこ。がんばって!
投稿日:2020-03-15 施設名:信愛会ブログ

令和2年3月15日。

日本も世界もコロナ禍の真っただ中です。

いつ収束するのか見通しが立たないのが一番つらいです。

宮崎は今のところパンデミックには至っていませんが、

いつその時が来るのか、わかりません。油断できません。

しかし、緊張感を保ち続けるのも限界があります。

長期戦を覚悟して、力を抜くところは上手に抜いていくのがこれからの課題だと思います。

 

人間界はコロナで大変なことになっていますが、

自然界はいつものように季節が巡っています。

いつの間にか施設のまわりに今年もいろいろな花が顔を出していました。

「がんばって!」と励ましてくれているようでした。

施設のまわりの田んぼにはいつの間にかれんげが花をつけていました

裕生園の遊歩道にある花壇のつばきが今年も綺麗な花を咲かせました

敷地内では小さい黄色い花が可憐に咲いていました

すいせんの花も日を浴びて存在感をアピールしているようでした

桜はまだまだです。桜が満開になる頃にはコロナが収束に向かっていますように…

各種表彰が相次ぎました
投稿日:2020-03-03 施設名:信愛会からのお知らせ, 信愛会ブログ

 令和2年2月は、信愛会職員の各種表彰が相次ぎました。

 2月4日に宮崎シーガイアコンベンションセンターで行われた宮崎県老人福祉サービス研究大会において、たかおか居宅介護支援事業所の介護支援専門員 岩見契子さんが、長年にわたる老人福祉事業への貢献に対して贈られる「宮崎県老人福祉サービス協議会表彰」を受賞されました。

 2月21日には、宮崎市民文化ホールで行われた宮崎市社会福祉大会において、「社会福祉功労者厚生労働大臣表彰」の表彰状の伝達式が行われ、たかおか居宅介護支援事業所管理者兼介護支援専門員の楠元剛志さんが戸敷宮崎市長より表彰状を伝達授与されました。

 この厚生労働大臣表彰は社会福祉事業の発展向上に顕著な功績があり、長年にわたってその業務に精励されて来た方に贈られるもので、昨年令和元年11月22日に東京都港区のメルパルクホールで行われた全国社会福祉大会で授与されることになっていたものです。その日参加できなかった方に対しては、この日の宮崎市社会福祉大会において伝達授与式が行われたのでした。

 また、同じくこの日の宮崎市社会福祉大会において、民間社会福祉施設職員として長年福祉業務に従事し他の模範として認められた方へ贈られる「宮崎市長表彰」がグループホームたちばな管理者の谷口順子さん、同じくグループホームたちばな介護職員の川越洋子さん、そしてきんかん小規模多機能ホーム管理者の黒木淳さんに授与されました。

 そして、やはり同じくこの日の宮崎市社会福祉大会において、長年民間社会福祉事業に従事して社会福祉事業功労者として他の範と認められる方に贈られる「宮崎市社会福祉協議会会長表彰」が特別養護老人ホーム裕生園で長年洗濯業務に携わってきた野村郁奈子さんに授与されました。

 以上、6名の皆さんの栄えある受賞に対しお祝い申し上げ、これまでのご功績に敬意を表するとともに、これからのますますのご活躍をご祈念申し上げます。

たかおか居宅介護支援事業所管理者の楠元剛志さんが宮崎市社会福祉大会において厚生労働大臣表彰を授与されました。戸敷宮崎市長から表彰状を伝達授与される楠元氏

厚生労働大臣表彰の賞状を手にする楠元氏。特別養護老人ホーム裕生園の副理事長室にて

宮崎市社会福祉協議会会長表彰を受賞した野村郁奈子さん。宮崎市社会福祉大会が行われた宮崎市民文化ホールの玄関前にて

地域住民と辰元グループとの合同防災訓練をしました
投稿日:2020-02-06 施設名:信愛会からのお知らせ, 信愛会ブログ

令和元年2月5日(水)、辰元グループ敷地内のナナホールにて、飯田地区住民と辰元グループ職員との合同の防災訓練を行いました。
大規模な災害が生じた場合、近隣地区の住民が自主的に避難して来ることが予想されます。

私たち辰元グループとしても、普段からそうしたことを想定して準備をしておく必要があります。

この日、ナナホールにて、消防署から借用したビデオを視聴したあと、施設が備蓄している間仕切り用段ボールや簡易トイレを作成したり、いろいろな防災グッズの使い方を確認したり、非常食を試食したりしました。

有意義な防災訓練ではあったのですが、反省すべき点も大いにありました。

この日の合同防災訓練に向けて、地域住民を巻き込んだ準備ができなかったために、住民の方々の参加が非常に少なかったのです。

土日でもない週日の、しかも2月初旬の寒い時期ということもありましたが、もっと企画段階から施設と住民とが協働して取り組むことが大事であると、改めて痛感しました。

地域主体、自治会主体の防災訓練に私たちが側面から支援する、というスタンスが必要ではないか、と思いました。

そのために、早い段階から自治会と施設とが打ち合わせをして、防災訓練を協働して作り上げていく。そのプロセスそのものが既に防災力の向上につながっているのだと思います。

イベントとしての防災訓練ではなく、そこに至る過程をもっと重視すべきであることを改めて認識した今回の防災訓練でした。

ナナホールにて。参加者受付をしています


まず消防署から借りた防災ビデオの視聴


施設が備蓄している簡易トイレを組み立てました


実際に座ってみます。200㎏まで大丈夫とのこと


今度は間仕切り用段ボールの組み立てです


寝ごこちはまずまずです


施設保管の防災グッズの確認


簡易担架を試してみました


ドローンの試し飛行。映像はもちろん、音声をこちらから送りスピーカーで発声することも確認しました


管理栄養士による非常食についての説明


非常食を何種類か試食しました。意外においしいものもあり驚きでした

令和2年明けましておめでとうございます
投稿日:2020-01-01 施設名:信愛会からのお知らせ, 信愛会ブログ

令和2年、明けましておめでとうございます。

令和元年は5月から始まりましたので、令和になって初めてのお正月ですね。

昨年も本当にお世話になりました。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

皆様にとりまして、今年が素晴らしい一年でありますように

ご祈念申しあげます。

明けましておめでとうございます。令和2年元日の辰元グループ。今年も晴天に恵まれました

年末の風景~クリスマス会、餅つき大会
投稿日:2019-12-27 施設名:信愛会ブログ

令和元年の年の瀬も押し詰まってきました。
クリスマス会や餅つき大会など、年末の行事が相次いで行われました。
12月25日(水)には、特養裕生園、ケアハウスシャトル、グループホームたちばな合同のクリスマス会が行われました。
地元の飯田老人クラブの皆さんもご招待して、オカリナフレンズによる優しい柔らかな音色のオカリナの合奏でクリスマスソングを楽しみました。

27日(金)には、餅つき大会が行われました。
「よいしょ!」「よいしょ!」の掛け声が響く中、元気いっぱいのもちつきでした。
利用者さん達も職員の加勢をもらってもちをつきました。
きねの重さにびっくりされている方が多かったです。

平成から令和に変わった今年。
いろいろなことがありました。ありがとうございました。
来年も皆様にとってすばらしい一年でありますように!

裕生園、シャトル、たちばな合同のクリスマス会。オカリナフレンズの皆さんです

裕生園ことぶきホールにて。地元の飯田老人クラブの皆さんも参加されました

最後に辰元圭子副理事長のご挨拶。クリスマス会も裕生園設立以来40年以上続く行事の一つ

12月27日(金)は餅つき大会。裕生園ことぶきホールにて。まずは職員がもちをつきました

利用者さん達も職員の加勢をもらいながら、かわるがわるつきました

「よいしょ!」「よいしょ!」の掛け声が響きます

出来上がったお餅を皆さんに見てもらいました。いい感じにつき上がりました。これは施設玄関の鏡もちになりました

「第17回ビタミン街道歩こう会」参加記
投稿日:2019-11-23 施設名:信愛会ブログ

令和元年11月23日(土)勤労感謝の日、第17回ビタミン街道歩こう会に参加しました。これは宮崎市高岡町の高木兼寛顕彰会が毎年この時期に開催しているイベントで、高岡町穆佐(むかさ)地区出身の高木兼寛にゆかりのある場所を歴史講話やゲームを交えながらゆっくり散策するものです。高岡町及び近隣地区から老若男女約50名の参加者でした。

今年は雨が心配されましたが、途中ぱらっときただけで、幸いまとまった雨は最後まで降りませんでした。

午前9時に高岡温泉「やすらぎの郷」をスタートし、旧穆佐小学校に向かいました。グランド横にある高木兼寛先生顕彰碑について顕彰会役員の方の説明を聞きました。

その石碑のすぐそばに穆佐城址に登って行く山道があり、私たちはそこから今度は穆佐城址へ向かいました。

穆佐城の歴史は古く、説明によると、足利尊氏の時代には存在していたようです。

城の建物は残っていませんが、場内の区画である「曲輪(くるわ)」址が残っていて、防御性を高める「堀切(ほりきり)」など興味深い箇所もありました。

次に私たちは穆佐城址のある小高い山の反対側に出て、高木兼寛生誕の地と言われている地区に向かいました。

坂を登っていくと「穆園(ぼくえん)ひろば」があり、高木兼寛の業績について顕彰会の役員の方の説明がありました。また、子供たち向けの宝探しゲームもありました。そして高木兼寛の像の前でみんなで集合写真を撮りました。

お昼が近づいてきたので、私たちは坂を下りて小山田コミュニティーセンターに向かい、そこで昼食をとりました。

昼食では、高木兼寛の代名詞とも言える“麦飯”が配られました。

明治時代、国民病と恐れられた脚気(かっけ)撲滅のため麦飯の効用に着目し、日本海軍の兵食改革を断行して兵士の命を救い、のちのビタミン発見のきっかけを作った高木兼寛の偉業をみんなで偲びました。

昼食後は高木兼寛にまつわるクイズゲームやなつかしい歌をみんなで歌って楽しみました。

非常に印象的だったのは、「茸(たけ)狩りに」という高木兼寛の短歌に地元の音楽の先生が節をつけた歌があり、それを今回参加していた高岡中学校の生徒さんたちがその場のリクエストで合唱してくれたのですが、その澄んだ歌声にみんなが感動し、拍手喝采、「アンコール!アンコール!」の声が沸き上がったのでした。

昼食休憩のあと、次に私たちは穆佐神社に向かいました。

薩摩藩の郷士だった高木兼寛の父の生業は大工だったのですが、この穆佐神社も高木兼寛の父が建造したと言われています。

幼い兼寛少年ももしかしたら手伝ったかもしれないという話を顕彰会の中山会長がされていました。

穆佐神社に隣接してみかん畑があり、私たちは今度はみかん畑に行きました。

高岡郵便局の平原局長のご好意で、毎回みかん狩りが行われています。

参加者の皆さんは、あらかじめ用意してきた剪定ばさみでビニール袋いっぱいにみかんを採っていました。

重いみかんの袋をかかえて散策を続けるのは大変ということで、局長さんが軽トラックにみかんの袋を積んで先回りして運んでくれたのが有難かったです。

みかん狩りが終わると、最後の訪問先である高木家祖累代のお墓にお参りし、最初のスタート地であるやすらぎの郷に戻りました。

全員集合した後、解散式があり、最年少及び最年長完歩者が表彰され、全員に参加賞が渡されました。

すべてが終了したのはちょうど午後3時でした。

こうして、晩秋ののどかな穆佐地区をゆっくり歩き、郷土の偉人である高木兼寛ゆかりの地を訪問し、歴史講話に耳を傾け、歌やゲーム、みかん狩りをして楽しむという盛沢山の歩こう会が終わりました。

高木兼寛顕彰会の中山会長、そして歩こう会実行委員のみなさん、本当にありがとうございました。

歴史、文化、自然、そして健康…「ビタミン街道歩こう会」の名称にふさわしいイベントでした。

スタート・ゴール地点の「高岡温泉やすらぎの郷」の看板

やすらぎの郷駐車場で受付が行われました。約50名の老若男女の参加者でした


まず旧穆佐(むかさ)小学校へ向かいます


旧穆佐小学校の体育館


グラウンド横にある高木兼寛先生顕彰碑にお参りしました


高木兼寛先生顕彰碑


顕彰会役員の方から穆佐城址について説明を受けました


場内の区画である曲輪(くるわ)がいくつも残っていました


敵の来襲に備えて作った堀切(ほりきり)の説明


城址からの眺めは大変良く、倉岡城や宮崎城も一直線上に見えただろうとの説明でした


高木兼寛生誕地のある地区に向かいました


ここから坂を登って行くと穆園(ぼくえん)ひろばがあります


穆園ひろば入り口。穆園は高木兼寛の号で、穆は穆佐から、園は母親の名前からとったと言われています


穆園ひろばでは顕彰会役員の方から高木兼寛の業績について説明がありました


高木兼寛の業績を記した看板


高木兼寛像。明治日本の第一号の医学博士の一人だった高木兼寛


高木兼寛像の前で記念撮影をしました


小山田コミュニティセンターで昼食をとりました


高木兼寛と言えば麦飯。日本海軍から脚気を駆逐し、ビタミン発見のきっかけとなった麦飯が参加者に配られました。


高木兼寛にまつわるクイズでゲームをしました


プログラムに記載された高木兼寛の短歌。地元の音楽の先生がこれにメロディーをつけ、穆佐小学校で受け継がれています


参加していた高岡中学校の生徒さん達が「茸狩りに」の歌を合唱。その澄んだハーモニーにみんな感動し、「アンコール!」の声が沸き起こりました


穆佐神社に向かいました


穆佐神社は大工だった高木兼寛の父の建造と伝えられています


高木兼寛顕彰会の中山会長が神社と高木家の関係について詳しく説明されました


神社に隣接するみかん畑でお楽しみのみかん狩りです。袋いっぱいにみかんを採りました


最後に高木家祖累代のお墓にお参りしました。高木兼寛の両親の代までの累代のお墓ということでした


スタート地点のやすらぎの郷に戻り、そこで完歩証と参加賞をもらいました。歴史、文化、自然、健康…本当に盛沢山の歩こう会でした

感染症対策研修がありました

令和元年11月13日(水)、裕生園会議室において、宮崎県立看護大学看護研究・研修センター主催の感染症に関する出前講座がありました。

これは、県立看護大の「令和元年度高齢者施設における感染対策の実践型出前研修のモデル事業」の一環として行われたもので、午後6時から裕生園館内のラウンド(視察)、午後7時から職員対象の約1時間の研修でした。

私たち職員が参加しやすい時間帯に合わせてくださり、また研修内容もあらかじめこちらが希望したものを取り上げてくださいました。

講師は、県内の医療機関で感染管理認定看護師として活躍されている6名の方々でした。

特養裕生園、ケアハウスシャトル、グループホームたちばな、みやづるデイサービスセンター、きんかん小規模多機能ホーム、裕生園訪問介護ステーションなど、信愛会のほとんどの施設・事業所から参加者がありました。

まず、インフルエンザと感染性胃腸炎に関する講義があり、その後、手指消毒やエプロン、手袋の着脱の実技演習がありました。

感染症に関する大切なポイントを端的にまとめて講義してくださり、実技演習では、蛍光塗料を使った手指消毒の実験など、印象に残るよう工夫された演習でした。

これから感染症の流行する季節に入るので、タイミングも非常に良かったです。

今年の1月2月に、裕生園ではインフルエンザの大流行に見舞われました。今回の研修をしっかり受け止め、今冬およびそれ以降の感染症に対応していきたいと思います。

宮崎県立看護大学看護研究・研修センター主催の感染症に関する出前講座が裕生園会議室にて行われました

手に蛍光塗料を塗ったあと、念入りに手指を洗います。果たして蛍光塗料は全部落ちたのかを見る実験です

光を当ててみると、爪や手首に蛍光塗料が残っていました。きれいに手洗いしたつもりでも完全ではないことがわかった実験

エプロン、手袋、マスクの着脱の実技演習もありました。これら身につける物の汚染部分に対して注意力が高まりました

参加者全員にエプロン、手袋、マスクが配布され、実際に身につけて実技演習を行いました

宮崎市北地区の民生委員、福祉協力員の皆さんが見学に来られました
投稿日:2019-11-12 施設名:信愛会からのお知らせ, 信愛会ブログ

令和元年11月8日(金)、宮崎市北地区の民生委員、福祉協力員の約50名の皆さんが辰元グループの見学に見えました。

まず、ナナホールにおいて全体的な説明を聞いていただいた後、4班に分かれて、特養裕生園、ケアハウスシャトル、グループホームたちばな、老健信愛ホームの4施設をそれぞれスタート地点として巡回する見学ツアーが始まりました。

この日は気持ちのいい秋晴れで、ナナホールから一旦外に出てから各施設に移動しました。

同一敷地内にいろいろな種類の施設がそろっているのが私たち辰元グループの特徴です。

見学者の皆さんは比較的短時間のうちに4つの施設を順番に見学され、施設の種類ごとに規模や雰囲気、中にいらっしゃる利用者さんたちの要介護度の状況を実際に見ることができたので、施設の種類による違いを体感できたのではないでしょうか。

宮崎市北地区で地域住民の方たちに福祉活動をされている皆さんにとって、今回の見学が今後の活動に何らかの参考になれば幸いです。

宮崎市北地区の民生委員、福祉協力員の皆さん。まずナナホールで全体的な説明

4班に分かれて4つの施設を順番に回る見学ツアーが始まりました

特養裕生園にて。裕生園の建物はグループ内で最も古く、築40年以上経過しています

最近導入したニュークックチル方式による食事のサンプルを見てもらいました

ケアハウスシャトル新館のホールにて。施設ごとの雰囲気の違いも体感していただけたのではないでしょうか

認知症の方専門の施設、グループホームたちばな。小規模施設ならではの家庭的な雰囲気があります

老人保健施設信愛ホームにて。急性期を過ぎた患者さんが、家庭復帰を目指してリハビリ等に励む施設です。通所リハビリのサービスもあります

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

辰元グループ関連施設全体図(宮崎市高岡地区)

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