社会福祉法人 信愛会

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みんなのブログ

今日はこどもの日ということで…
投稿日:2015-05-05 施設名:きんかんブログ

柏餅をみんなで作って食べました(#^.^#)

ご自分の子どもに柏餅を作ったお話をしながらお茶にしました。

 

きんかんドライブ♪
投稿日:2015-05-05 施設名:きんかんブログ

綾町の男山の見物に行ってきました。雛山と違い、勇壮な鎧兜に感激されていました

お花のお引越し♪
投稿日:2015-05-05 施設名:きんかんブログ

建設中の『老人保健施設 このはな』の前にある花壇の整備をするということで、花壇のお引越しです。

利用者のみなさんに手伝って頂きました(^^)v

高木兼寛という人がいた⑥
投稿日:2015-05-01 施設名:信愛会ブログ

(私たち社会福祉法人信愛会は宮崎市高岡町に位置していますが、ここ高岡出身で明治の日本の医学の進歩に多大な貢献をした人物がいました。高木兼寛(かねひろ)という人です。「ビタミンの父」と呼ばれていて、脚気(かっけ)の研究であの森鴎外と大論争を繰り広げた人です。)

兼寛が留学した頃のセント・トーマス病院。ロンドン中心部に位置し、イギリスで最も古い由緒ある病院。この附属医学校で兼寛は実に多くのことを学び、ついに成績トップとなる。

イギリス留学時代の高木兼寛

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 明治8年(1875年)、ロンドンでの留学生活が始まります。鹿児島医学校でウィリアム・ウィリスに、東京の海軍病院でウィリアム・アンダーソンに就いて医学と英語を身に着けていた兼寛は、この由緒あるセント・トーマス病院附属医学校でもすぐに頭角を現し、ついに成績トップになります。この医学校の最高外科賞牌(はい=メダル)であるチェセルデン銀賞牌、そして医学全般の顕著な進歩と品行方正の賞として金賞牌も授与され、名実ともにこの医学校で最優秀の医学生となりました。
 今でこそ日本の科学技術の優秀性は世界に知られるところとなり、1年に3人もノーベル賞を輩出するようになりましたが、当時、明治維新からまだ10年前後しか経っていない時代に、世界最先端の文明国イギリスの、最も由緒ある病院の附属医学校で、東洋の“Japan”という島国から来た青年が成績トップになるということは現地では大変な驚きだったことでしょう。前出の辰元病院院長の川﨑氏も「世界の海を制覇したヴィクトリア女王時代のイギリスは世界各地に植民地を持ち、アジア各地にも海軍基地を築き、そこの人民はみな女王の臣下だという意識があった。そういう時代に極東の国からイギリスへやって来た青年がイギリスの医学校でトップになった。これは大変センセーショナルな事だったに違いない」と言われていました。
 それにしても、高木兼寛に限らず、この時代に欧米に留学した日本の青年たちは本当に優秀な人たちが多かったですよね。ただ優秀なだけでなく、新国家建設のためという大変なプレッシャーにも負けない強靭な精神力も備えていました。本人たちの能力の高さはもちろんですが、明治維新に至るまでの江戸期の日本の学問素養の高さもその根底にあったでしょう。だからこそ、明治維新後ほんの10年でイギリスの学校で日本人が最優秀賞を取ることもできたのだと思います。

 兼寛はこのセント・トーマス病院時代に実に多くのことを学びます。イギリスにおける外科・産科・内科の医師の資格を得、また、イギリス外科学校のフェローシップ免状も授与されました。これは、外科医の最高の栄誉とされている学位で、医学校の教授になる資格でした。つまり、兼寛は医学を学習する立場から教える立場(しかも英国で)になったのでした。
 こうした医学上の資格だけでなく、兼寛はイギリスの医学界を取り巻く制度、教育、文化というものについてもその頭脳と感受性をもって大いに吸収し、日本に持ち帰ります。
 明治13年(1880年)、5年ぶりに高木は日本に帰って来ました。ここから高木の超人的な活躍が始まります。                                  (アッサン)

宮崎県芸能歌謡会の皆様来園
投稿日:2015-05-01 施設名:みんなのブログ, シャトルブログ

4月19日日曜日に、宮崎県芸能歌謡会の皆様が来園されました。

利用者の皆様も、歌に踊りに、楽しんでおられ、笑顔で楽しい時間を過ごされていました。

(摩人デブー)

 

桜見学を行いました。♪(^-^)♪
投稿日:2015-04-19 施設名:長寿園ブログ

3月下旬に天ヶ城や長寿園周辺での桜見学を行いました。

2月末には月知梅に梅の見学に行きましたが、今度は桜です。

 

    

(↑上の3枚の写真は2月に行った月知梅見学の模様です。)

 

(↑上の写真は、長寿園周辺に咲く桜を見学した時の様子です。本数は天ヶ城に比べると少ないですが、満開でした。)

 

    

(↑桜見学に行った日は、先週の雨続きから一転、気温が上がり、一気に桜が咲き乱れました。)

 

天ヶ城の桜見学には、私も同行されてもらいましたが、本当に桜が満開で綺麗でした。

綺麗に咲き誇った桜を見ると心が洗われるようでした。

来年、再来年とこの桜見学が実施出来る様に

利用者、職員共に健康で元気に過ごして行きたいと思いました。

(SMSA)

✿ お花見BBQ ✿
投稿日:2015-04-03 施設名:裕生園ブログ

4/2(木) 今年度最初の行事 お花見バーベキューを行いました!(^^)!

天気にも恵まれ絶好のお花見日和   ♫

満開に咲いた桜の花びらが風で舞う様子はとても綺麗でした!!

去年、一昨年は葉桜になった頃の開催となっていたようですが、

今年は見事に満開の中 開催でき、

利用者の方にもより楽しんでいただけたのではないでしょうか!

たくさんのご家族の方にも参加していただき、とても賑やかなBBQに(#^.^#)

利用者・ご家族の方の笑顔☺がたくさん見られた1日となりました  ♪♪

(  3104  )

 

 

 

 

運動、頑張っています。in 長寿園。
投稿日:2015-03-31 施設名:長寿園ブログ

長寿園では、身体機能の維持や向上の為に様々な運動を行っています。

月に1回の辰元病院からPT(理学療法士)が来られ、機能訓練の指導を行う『PT指導』、

 毎週、職員が立ち上がりや手足などの運動を行う『リハビリ訓練』を行っています。

 

     

『PT指導』の1場面です。利用者がPT(理学療法士)の動きを見て、体を動かしています。

 

『リハビリ訓練』の1場面です。廊下中の手すりを使って、立ち上がりの運動を行っています。

 

(『リハビリ訓練』)腕を上げた状態で数を数えながら、指を動かしています。

 

 

自分の身体が自分でしっかりと動かせるのは、幸せな事です。

私も利用者を見習って、身体を動かしていきたいと思いました。

このブログを見られた方々、定期的に運動できていますか?(^ロ^)

(SMSA)

春が来ました!(^^)!
投稿日:2015-03-26 施設名:裕生園ブログ

 

3月も下旬となり暖かくなってきたこの頃です!施設では生花があり利用者の方々と生花をしました。春らしい綺麗なお花を花器にいけて春を楽しみました。また利用者の方々と施設の外に出て散歩をしました。この日はとてもお天気が良くて青空の下施設の周りに咲いている桜を見て「春が来たね」と笑顔で会話される姿が見られて嬉しく感じました。           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

A☆3104

高木兼寛という人がいた⑤
投稿日:2015-03-15 施設名:信愛会ブログ

(私たち社会福祉法人信愛会は宮崎市高岡町に位置していますが、ここ高岡出身で明治の日本の医学の進歩に多大な貢献をした人物がいました。高木兼寛(かねひろ)という人です。「ビタミンの父」と呼ばれていて、脚気(かっけ)の研究であの森鴎外と大論争を繰り広げた人です。)

イギリス人医師ウィリアム・ウィリス。鹿児島に招かれ、高木兼寛に医学と英語を伝授する

 名医として評判の高かったイギリス人医師ウィリアム・ウィリスが鹿児島に招かれ、新設された鹿児島医学校兼病院の校長兼病院長となり、高木兼寛もそこの学生となります。医学と英語を勉強しめきめきと力をつけて行った高木はウィリスに見いだされ、教授及び手術助手として抜擢されます。名医ウィリスから実地に指導を受けたことがその後の高木の躍進に大きく影響を与えたと言っていいでしょう。
 ところで、高木が最初に鹿児島に来たときの先生だった石神良策は、その頃東京にいて、海軍病院の医務担当をしていました。そして高木を海軍病院の医員として推挙した旨の手紙を高木に送って来ます。鹿児島で充実した日々を送っていた高木は戸惑いますが、ウィリスの後押しもあり、東京行きを決断します。
 明治5年、兼寛24歳。東京の海軍病院での勤務が始まりました。当時の日本の医学界は完全にドイツ医学になっていましたが、海軍だけは軍制の範をイギリスにとっていたので、海軍の軍医もイギリス医学を受け入れる方向にありました。そして海軍独自の教育方法によって軍医を養成すべきだということになり、海軍病院内に学校を設けます。そしてイギリスから学力、人柄ともに優れた医師を教官として招くことになりました。それがウィリアム・アンダーソンという若き医師で、イギリスで最も古い由緒あるセント・トーマス病院附属医学校を優秀な成績で卒業した人でした。
 このアンダーソンとともに海軍病院で勤務していた高木は、上官の石神良策からまたもや重大な転機となる提案を受けます。「イギリスへ留学しないか?」高木をイギリスに留学させることは石神にとっての悲願でした。また、アンダーソンも、医者としての技量も英語力も抜群だった高木を推薦していました。海軍省は高木のイギリス留学を認め、アンダーソンが母校のセント・トーマス病院に連絡を取り、高木が入学できるように取りはからってくれ、推薦状も書いてくれました。高木は官費留学生としてイギリスに行くことになったのです。
 留学の準備をしていた高木にとって大変悲しい事が起きました。恩師であり上官である石神良策が急に倒れてそのまま帰らぬ人となったのです。この石神という人は不思議な人で、常に兼寛の一歩先を歩いていて、高木を引き上げて新しい世界へ導く人でした。石神は高木が初めて鹿児島に来た時の先生(蘭方医)でしたが、戊辰戦争の時も兼寛よりも早く戦場に入っていて、戦場で再会し、名医ウィリアム・ウィリスのことを兼寛におしえ、鹿児島にそのウィリスを招いて高木がその指導を受けられるようにしたのもこの人。高木を東京の海軍病院に呼び寄せたのも石神で、イギリス留学を実現させたのもこの人でした。また、結婚の世話もしてくれたのでした。石神は高木をイギリスへ留学させるという自分の悲願を達成したことで、自分の役目は終わったと思ったのでしょうか。ここまで自分の教え子のことを思う師もすごいし、またそこまで師を本気にさせる高木という教え子も大変な逸材だったということでしょう。

 明治8年(1875年)、27歳の兼寛はイギリスの地を踏みます。当時のイギリスはヴィクトリア女王の時代で、世界の文物の最先端を行く大英帝国の最盛期でした。その世界帝国の首都ロンドンのど真ん中にセント・トーマス病院はありました。大きな病院で、テムズ川に面し、対岸には英国国会議事堂であるウェストミンスター宮殿があり、時計台のビッグベンが見えました。5年間の留学期間中、毎日のように兼寛はビッグベンを見、その鐘の音を聞いたことでしょう。(アッサン)

(下の4枚の写真は当辰元グループ辰元病院院長川﨑渉一郎氏の宮崎市郡医師会会報『醫友しののめ』145,146,147号への寄稿文「高岡町出身、明治の英傑…高木兼寛の足跡を辿る旅」より)

兼寛が留学した頃のセント・トーマス病院。テムズ河畔に移転改築されたばかりで、まだ新しかった。礎石がヴィクトリア女王によって行われた

現在のセント・トーマス病院。右端に兼寛の頃の古い建物が残っている(川﨑氏撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

セント・トーマス病院の対岸はウェストミンスター宮殿(英国国会議事堂)。右端がビッグベン。辰元病院院長の川﨑氏が高木兼寛の足跡を訪ねた時の写真

 

現在のセント・トーマス病院の北玄関(川﨑氏撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かわいいひな祭り行事食
投稿日:2015-03-03 施設名:信愛会ブログ

今日は3月3日、ひな祭りの日でした。

毎年恒例のひな寿司が出され、利用者の皆さんにとって楽しい昼食となりました。

こうした行事食によって季節の移り変りを実感することができます。

 

食べるのがもったいない気がします…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もうすぐ春本番ですね。

もうすぐ雛祭り
投稿日:2015-02-23 施設名:シャトルブログ

 

だんだんと寒さが和らいで来ているように感じますが、皆さんお元気ですか(^-^)/

宮崎県は1月、2月インフルエンザの猛威に見舞われ、あちこちの施設や病院が面会謝絶と

なってましたが、最近ようやく落ち着いてきましたね(^^)良かったです

さて、もうすぐ『雛祭り』ですね。シャトルでも雛人形を飾りました。

特に女性の方は喜んでおらるようです。

もう少ししたら、シャトルみんなで桜見物に行きますね~(^o^)/

(魔人デブー)

 

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