社会福祉法人 信愛会

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投稿日:2020-09-03 施設名:裕生園ブログ

皆様こんにちは!新型コロナウイルス感染拡大防止の為、施設では外出等が出来ず、例年行われている夏祭りも中止となり、8月7日に花火を打ち上げ、ご利用者様と一緒に花火を見物しました。ご利用者様も「綺麗だね~」と言われ楽しまれていました。施設内では、利用者の皆様が少しでも楽しめるようにと感染防止に努めながら綿菓子作りを行い、笑顔で綿菓子を頬張る姿がたくさん見られ、「懐かしい」「おいしい」との声が聞かれました。          ☆れおん☆

利用者さん達の大きな歓声が上がりました

おいしそうな綿菓子がたくさんできました!

おいしいねぇ(^^♪

大きくて口に入らんねえ( ゚Д゚)

再び面会制限を行っています

令和2年8月に入りました。

宮崎県では7月下旬から新型コロナウイルスの感染が急速に拡大し、人口当たりの新規の感染率が全国の中でもかなり高くなっています。

そのため、信愛会の各施設・事業所では警戒のレベルを上げ、一時期緩和していました面会制限を再び厳格化しました。

ガラス越しの面会またはオンライン面会に戻りました。

ご家族の皆さんも県内の感染拡大の状況はわかっていらっしゃるので、今回再び面会制限が厳しくなったことについてご理解いただけていると思います。

職場や家庭での2次感染、3次感染も出て来ており、施設にいつウイルスが入ってきてもおかしくない状況になってきました。

施設内にウイルスを入れないことが一番ですが、万が一入ってきた時に迅速に適切な対処ができるように、ハード面、ソフト面、そして心の準備をしておかなければ、と思います。

 

面会禁止措置を条件付きで緩和しました

令和2年6月15日(月)、信愛会の各施設・事業所では、新型コロナウィルス感染拡大防止のため行ってきた利用者との面会禁止措置を条件付きで緩和することになりました。
高齢者は感染リスクが高く、全国的にも高齢者施設でのクラスター発生が報道等で伝えられています。

そのため、面会禁止を緩和することはリスクを伴い、慎重にならざるを得ません。

一方で、ご家族等は1月初めからのインフルエンザ対策、それに続く新型コロナウィルス対策で半年近く面会ができない状態が続いていました。

ガラス越しに外から面会したり、職員がご利用者の近況を写真に撮って郵送したりしていましたが、やはり直接顔を合わせることのできる機会をご家族もご利用者も心待ちにされていました。

全国に出されていた非常事態宣言も解除となり、また宮崎県では4月中旬に最後の感染者が判明してから2か月以上が経過したこともあり、このたび、条件付きではありますが、面会禁止措置の緩和となった次第です。

面会は予約制で、1回の面会は2人まで。時間は10分。検温、手指消毒、マスクの着用をしていただきます。

また、当面は県内の方のみに限定で、他県の感染状況を見ながら緩和していきます。

面会時は1m以上の距離を取り、裕生園ではテーブル上にビニールカーテンを用意しました。

先週、ご家族に文書でこの件についてお知らせしたところ、すぐに面会の予約が入りました。

やはり、みなさん、長い間会えなかったので、待ち遠しかったことと思います。

これから、第2波、第3波の可能性もありますので、周囲の状況を見ながら、かつ、ご利用者、ご家族のご希望に添えるよう、できる限りの工夫しながらご面会の機会を提供できたらと思います。
なお、県内で感染が発生した場合には、以前のようなガラス越しの面会に戻りますので、予めご了承ください。

大工仕事の得意な職員が手作りのビニールシート立てを作りました

上部の様子。鉄の輪っかに棒を通し、その棒にビニールシートを垂らしています

台座の部分。左右にぐらつかないように、三角形の羽がついています

この羽は蝶つがいで留めているので、使わない時は折りたためます。ここがオリジナルな所ですね

6月1日は、赤シソちぎりを行いました!

コロナウイルスの影響の中、行事や余興を控え面会も出来ない状態が続いてますね。

宮崎では、ここの所、新規の感染者は出ていませんが、私たちの施設ではまだ、ご家族との面会は制限されています。

面会制限が解除されるまでは、ガラス越しにしか顔を合わせる事が出来ない状況です。

大変申し訳ありませんが、もうしばらくお待ちください。

さて、話は変わるのですが、6月1日は、赤シソちぎりを行いました。

毎日、機能訓練を行っていますが、シソちぎりというはっきりとした目的で久しぶりに体を動かす作業のせいか、物凄く早いスピードで作業をされるので、びっくりしました。

真剣に、かつ楽しく作業をされている姿は、写真でもおわかりの通りで、みなさんとても良い笑顔でした。

ちぎったシソは、栄養士や調理職員が赤しそジュースにして、みんなで飲みました。私も頂いたのですが、甘酸っぱい爽やかな味付けで飲みやすく、くせも臭みもなかったので美味しかったです。

美味しかった事もあり、普段水分補給をして下さらない利用者様も赤しそジュースだと飲まれていましたね。

こういった作業があると利用者様もいきいきとされ、楽しい時間を過ごされるので、また機会があるといいですね。<or>

初夏
投稿日:2020-05-21 施設名:裕生園ブログ

5月1日には八十八夜、暦の上では5月5日は立夏と、日々の生活の中でも初夏を感じるような暑さや、梅雨ではないかなと思うようなムシムシするような事が多くなってきました。皆様はいかがお過ごしでしょうか。新型コロナウイルスの影響で、不要不急の外出の自粛で何かと不便を感じている方も多いと思います。私は、大掃除ではなく、小掃除を休みの時にやっているところです。

施設では、ご利用者様に季節を感じる事が出来るようにと、4月には花祭り、5月には野点の行事を行いました。中々、この状況で外に出られる事が少なく、施設でのお誕生会では行事食として、こいのぼり型の押し寿司を提供したところ、笑顔でお寿司を食べていらっしゃいました。その笑顔で、私達職員も元気を頂いて頑張っている毎日です。

  A☆3104

 

危機管理に奮闘した偉人―高木兼寛没後100周年
投稿日:2020-04-15 施設名:信愛会ブログ


一昨日、令和2年(2020年)4月13日は、ちょうど高木兼寛没後100年でした。

高木兼寛(かねひろ)、知る人ぞ知る明治・大正期の偉人で、日本帝国海軍軍医総監、「ビタミンの父」「日本疫学の父」とも呼ばれています。

高木兼寛の功績を記念して、イギリスの南極地名委員会が南極大陸のある岬を“高木岬(Takaki Promontory)”と名付けたことを知っている人はほとんどいないでしょう。

実は私もほんの5,6年前まで全く知らなかったのです。

高木岬の命名は1950年代だったのですが、最近になってようやく、日本の小・中学校で使われる地図帳に高木岬の名前が載るようになったとのことです。

ビタミン発見に貢献した先人たちを顕彰するために、ビタミンの命名者Funkやノーベル賞受賞者Eijkmanらとともに、高木兼寛にちなんだ地名が付けられたのでした。

 

今、私達は新型コロナウィルスの脅威にさらされていますが、明治・大正の頃、日本は原因不明の死病脚気(かっけ)に苦しめられていました。

海軍の練習艦『龍驤(りゅうじょう)』が太平洋への練習航海を行った時、乗組員378名中169名が脚気にかかり、23名が亡くなりました。

死亡者数を患者数で割った致死率13.6%。

また、死亡者数を乗組員数で割った死亡率は6.1%。

練習のための航海をするだけなのに、100人に6人は脚気で死ぬのです。

海軍軍医で海軍病院の院長だった高木兼寛は強い危機感を抱きます。

時代は弱肉強食の帝国主義時代で、日本は欧米列強の脅威に立ち向かうだけでなく、

脚気という内側の敵とも戦わなければならない状況でした。

兼寛は難病脚気を克服するために、過去の記録を精力的に調査し、ついに脚気は食事に関係があることを突き止めます。

炭水化物に比してタンパク質が極端に少ない時、脚気が発生することに気づいたのです。

その確信に基づいて兼寛は海軍上層部に兵食改革の必要性を説きますが、上層部は懐疑的でした。

ますます焦燥感に駆られた兼寛は、有力政治家や大蔵省とみずから交渉して、実験航海の実現にこぎつけます。

そこに至るまでの兼寛の気迫、情熱、使命感。

失敗したら切腹、ということまで兼寛は覚悟しました。そして…

炭水化物とタンパク質の比率を考慮した練習艦『筑波』による実験航海は、

脚気死亡者を全く出すことなく、大成功を収めたのでした。

こうして、懐疑的だった海軍上層部の信頼を勝ち得た兼寛は兵食改革を推進し、脚気を海軍から駆逐して行きます。

こうしたことについて兼寛は英語で論文を発表し、栄養と病気の関係に注目する学者が次第に増え、

それが一大潮流となって、のちのビタミン発見へとつながって行くことになります。

そのため兼寛は「ビタミンの父」と呼ばれるのです。

 

それにしても、もしあの時、兼寛が高く厚い壁の前に心が折れて引き下がっていたら、

あるいは「俺の知ったことか!」と、投げやりになっていたら、

やがて来る清国やロシアとの、国の命運をかけた戦の時、日本はどうなっていたでしょうか。

良くも悪くも、今の日本はなく、別の姿になっていたと思います。

 

さて、こうした兼寛の目覚ましい働きは、実は当時の日本では、海軍を除いて、ほとんど認められませんでした。

当時の日本は官学としてドイツ医学を採用していたのですが、

ドイツ医学はコッホに代表されるように、細菌学において世界の最先端を行っていました。

難病脚気も細菌による伝染病の一種と考える医療関係者が多かったのです。

しかも、兼寛の「炭水化物とタンパク質の比率が脚気の原因である」という説には、理論的な裏付けがない。

いわゆる“学理”がない、ということで蔑視されたのです。

更に、兼寛が推奨した麦飯に関して、麦と白米の吸収率を見た時、麦の方が吸収率が悪いので、

麦飯よりも白米のタンパク質の方が吸収量が多くなるということで、兼寛の説は矛盾していると指摘されます。

 

このような批判は非常に鋭いものがあり、兼寛も反論できないようでした。

こうした批判は一見もっともなように見えますが、しかし、大きなものが欠落しています。

それは、麦飯によって実際に脚気が激減しているという現実です。

炭水化物に対するタンパク質の比率を上げると確かに脚気が治り、予防することもできるという現象が厳としてあるのです。

兼寛の説が間違いだとしたら、ではそうした現象をもっとうまく説明する説を見つけ出そうとするのが次の一歩ではないのでしょうか。

それが、科学の進展というものでしょう。

さすがに、科学の歴史の長いヨーロッパの学者たちが一歩一歩学説を進めて行き、ついにビタミン学説にたどり着きます。

脚気はある微量の物質の欠乏により起こり、その物質をビタミンB1と呼んだのでした。

このビタミンB1はなぜかタンパク質との共存率が高く、タンパク質を多く含む食材を摂れば自然とビタミンB1を摂ることになり、兼寛の言う通り、炭水化物に対するタンパク質の比率を上げれば脚気は治ります。

つまり、兼寛の説は、医学的な理論としては正解から外れていましたが、医療的な“処方”としては、十分有効だったことになります。

ここに、医学と医療の役割の違いを見ることができます。

兵士の健康管理を預かる現場の軍医としてはそれで十分だったのであり、兼寛の実績は学術的な追究のための良質な材料を提供した格好だったのですが、

当時の日本の学者達、特にドイツ医学派の学者達は兼寛の説に対する批判に終始し、兼寛が提示したせっかくの材料を活用展開することはできませんでした。

 

このドイツ医学派の中に森林太郎がいました。

陸軍の若き軍医で、東大医学部を最年少で卒業。ドイツに留学し、コッホの研究室にも在籍しました。

イギリス医学派の海軍軍医高木兼寛に対して、林太郎はドイツ医学派、陸軍医務局の切り札のような役目を背負わされていたと言えます。

ドイツ留学中にも、林太郎は日本からの便りで高木兼寛の動向を知らされていました。

そして、ドイツ留学を終えて日本に帰ってきた林太郎。

帰朝講演の中で、林太郎は「兵食をタンパク質の豊富な洋食にすべき」という兼寛の説に対して反論を加え、兼寛のことを当てこすって「ロウスビーフに飽くことを知らざるイギリス流の偏屈学者」と呼んでしまいます。

おそらく、会場を埋めていたドイツ医学派の聴衆から大きな歓声と笑いが上がったことでしょう。

林太郎としては、ドイツ医学派・陸軍医務局の切り札としての自分の立ち場を自覚していたでしょうから、聴衆に対するリップサービスの意味もあったと思います。

しかし、この嘲笑的な集団心理がこの後のドイツ医学派の歩みを、とりわけ林太郎自身の歩みを、苦しいものにして行くのです。

のちに高木兼寛が南極大陸にその名が刻まれるほどの人物になるとは、誰もこの時点では想像できなかったでしょう。

人生は恐ろしいものであり、謙虚さは相手を敬うことでもあるけれども、何より自分を守ることでもある、ということを感じて、ひやりと身が縮む思いがします。

晩年の高木兼寛。散歩の途中でしょうか。現代人にはもはや失われた明治人の“風格”を漂わせる写真。宮崎市高岡総合支所の高木兼寛コーナーの写真より

 

この後もドイツ医学派vs.イギリス医学派、陸軍vs.海軍の対立構造は解消することなく、日清・日露の両戦争に突入して行きます。

高木兼寛の奮闘によっていち早く脚気問題を片づけていた海軍とは対照的に、白米至上主義のドイツ医学派が医務局を占めていた陸軍は、日清戦争で約35,000名の脚気患者、約4,000名の脚気死亡者、日露戦争で約211,600名の脚気患者、約27,800名の脚気死亡者を出します。

信じられない数字ですが、こうした事態は避けることはできなかったのでしょうか。これは必然だったのでしょうか。

暗澹たる気持ちにさせられます。

後世の私達は必ずやここから何かを学び取らなければいけないでしょう。

それが悲運の先人たちへのせめてもの弔いだと思います。

 

さて、森林太郎は日清・日露の両戦争に軍医として出征します。

脚気で次々に倒れて行く兵士を軍医として看て、何を思ったか。

日露戦争後、林太郎は陸軍軍医総監という陸軍軍医のトップとなり、

一方で森鷗外として『ヰタ・セクスアリス』『青年』『雁』など、

また乃木将軍の自刃を機に、『興津弥五右衛門の遺書』『阿部一族』『澁江抽斎』等を発表します。

まさに文豪として確固たる地位を占めていくのですが、

ここで誰でも疑問に思うでしょう。

鷗外すなわち林太郎はそうした名作を生みながら、あの脚気問題から完全に自由だったのでしょうか。

あれほどの惨事を、もちろん一人で引き起こしたわけではありませんが、

やはりかなりの部分で責任を問われるべき林太郎は、

文豪鷗外としての自分と、軍医としての自分の両方をどのように折り合いをつけていたのか。

折しも、ヨーロッパでビタミン学説が誕生し、様々な文献の中でKanehiro Takaki(高木兼寛)の業績への言及が目立って来ます。

それを見て、林太郎の心の中にどんな思いが生じていたでしょうか。

そういった問題意識を持って、それこそ紙背に徹するほどの眼光をもって、

鷗外の数々の作品を読んで行くと、

実はたくさんの謎が作品群に散りばめられていることに気づきます。

その、点のような一つひとつの謎を線で結んで行った時、思いも寄らぬ鷗外像が現れて来ます。

私達が普通に使う“文豪”の意味とは次元の全く異なる意味での“文豪”と言ったらいいでしょうか。

明治日本という文明史的に稀有な時代に必然だった一つの役割を、

自らの運命として引き受けて最後の遺言で完結させるまで生き抜いた林太郎・鷗外。

今年は高木兼寛没後100年だったのですが、2年後には鷗外没後100年が来ます。

今、「鷗外学」は新しい段階へと進む時期に来ているのではないでしょうか。

林太郎・鷗外もそれを100年の間、待っていたと思います。

ちょうど、『雁』のヒロインお玉のように。                  (アッサン)

晩年の森林太郎・鷗外。
孤独と苦悩の深い影を見る者に感じさせる写真。
文豪鷗外はその作品の深奥に何を秘めたのか

 

コロナに負けるな!
投稿日:2020-04-10 施設名:裕生園ブログ

令和2年4月10日(金)。
特別養護老人ホーム裕生園の遊歩道に、きのう、鯉のぼりが上がりました。
青い空をバックに、鯉たちが元気よく泳いでいます。
気持ちのよい、さわやかな風が吹き抜けて行きます。

 

ふと我に返ると、私達はまだコロナ禍の中。
この気持ちいい風がコロナを吹き飛ばしてくれますように!
施設も最近は日中ほとんど窓を開けて、換気につとめています。
館内の清掃消毒も職員一斉に取り組んでいます。

気持ちのいいさわやかな風を受けて鯉のぼりたちが元気よく泳いでいます。早く元通りの日常に戻りたいですね

様々なことが交錯する4月
投稿日:2020-04-06 施設名:信愛会ブログ

令和2年度が始まりました。

コロナ禍はいっこうに収まる気配がありません。

明日4月7日には、政府が緊急事態宣言を出すことに決まったようです。

ここ宮崎でも、連日新型コロナウィルスの感染者が出て、

ついに二けたになりました。

このウィルスの弱点は何なのでしょうか?

日夜、世界中の研究者たちが格闘していると思います。

その答えが出るまで、私達も何とかここをしのいで行かなければなりません。

3密(密閉、密集、密接)を避け、手洗いを徹底し、

栄養と睡眠を十分とって抵抗力を保つこと。

それをどれだけのパーセントの人が自覚をもって継続的に実行できるか。

「他人事」と思っている人の多い少ないの差が、

このコロナ禍がいつまで続くかを左右するのだと思います。

そして、職務上、感染者と濃厚に接触せざるを得ない医療従事者、介護従事者に対して

行政やまわりから十分なサポートがあるか。

医療崩壊、介護崩壊となれば、感染者数、死亡者数は一気に増えるでしょう。

私達のような高齢者施設は、クラスター予備軍です。

ひとたびウィルスが入ったら、クラスター化を防ぐのは至難の業です。

おそらく全国の施設が戦々恐々としていると思います。

幸い、日本は感染スピードが他の国々よりも遅いです。

今のうちに知見を結集して、いろいろな対策をたてておくべきです。

被害をゼロにする、という時期は過ぎました。

いかに被害を最小にすることができるか、

いかにワクチンや治療薬ができるまでの時間をしのぐことができるか。

長期戦、総力戦であり、“戦略”も必要です。

厚労省から布製のマスクが届きました。職員と利用者に一人一枚の割合で来たものです。

利用者のご家族からも手作りマスクが届けられました。ギャザー付きで、裏にはガーゼ等を入れられるポケットも付いています。他にもいろいろな方からマスクの提供の申し入れが来ています。本当にありがとうございます

施設の遊歩道の桜が満開を迎えました。コロナがなかった頃の日常がいかに貴重なものだったか、今身に沁みますね


ケアハウスシャトルのご利用者さんたちが4階の窓から桜の花見です

春はもうそこ。がんばって!
投稿日:2020-03-15 施設名:信愛会ブログ

令和2年3月15日。

日本も世界もコロナ禍の真っただ中です。

いつ収束するのか見通しが立たないのが一番つらいです。

宮崎は今のところパンデミックには至っていませんが、

いつその時が来るのか、わかりません。油断できません。

しかし、緊張感を保ち続けるのも限界があります。

長期戦を覚悟して、力を抜くところは上手に抜いていくのがこれからの課題だと思います。

 

人間界はコロナで大変なことになっていますが、

自然界はいつものように季節が巡っています。

いつの間にか施設のまわりに今年もいろいろな花が顔を出していました。

「がんばって!」と励ましてくれているようでした。

施設のまわりの田んぼにはいつの間にかれんげが花をつけていました

裕生園の遊歩道にある花壇のつばきが今年も綺麗な花を咲かせました

敷地内では小さい黄色い花が可憐に咲いていました

すいせんの花も日を浴びて存在感をアピールしているようでした

桜はまだまだです。桜が満開になる頃にはコロナが収束に向かっていますように…

各種表彰が相次ぎました
投稿日:2020-03-03 施設名:信愛会からのお知らせ, 信愛会ブログ

 令和2年2月は、信愛会職員の各種表彰が相次ぎました。

 2月4日に宮崎シーガイアコンベンションセンターで行われた宮崎県老人福祉サービス研究大会において、たかおか居宅介護支援事業所の介護支援専門員 岩見契子さんが、長年にわたる老人福祉事業への貢献に対して贈られる「宮崎県老人福祉サービス協議会表彰」を受賞されました。

 2月21日には、宮崎市民文化ホールで行われた宮崎市社会福祉大会において、「社会福祉功労者厚生労働大臣表彰」の表彰状の伝達式が行われ、たかおか居宅介護支援事業所管理者兼介護支援専門員の楠元剛志さんが戸敷宮崎市長より表彰状を伝達授与されました。

 この厚生労働大臣表彰は社会福祉事業の発展向上に顕著な功績があり、長年にわたってその業務に精励されて来た方に贈られるもので、昨年令和元年11月22日に東京都港区のメルパルクホールで行われた全国社会福祉大会で授与されることになっていたものです。その日参加できなかった方に対しては、この日の宮崎市社会福祉大会において伝達授与式が行われたのでした。

 また、同じくこの日の宮崎市社会福祉大会において、民間社会福祉施設職員として長年福祉業務に従事し他の模範として認められた方へ贈られる「宮崎市長表彰」がグループホームたちばな管理者の谷口順子さん、同じくグループホームたちばな介護職員の川越洋子さん、そしてきんかん小規模多機能ホーム管理者の黒木淳さんに授与されました。

 そして、やはり同じくこの日の宮崎市社会福祉大会において、長年民間社会福祉事業に従事して社会福祉事業功労者として他の範と認められる方に贈られる「宮崎市社会福祉協議会会長表彰」が特別養護老人ホーム裕生園で長年洗濯業務に携わってきた野村郁奈子さんに授与されました。

 以上、6名の皆さんの栄えある受賞に対しお祝い申し上げ、これまでのご功績に敬意を表するとともに、これからのますますのご活躍をご祈念申し上げます。

たかおか居宅介護支援事業所管理者の楠元剛志さんが宮崎市社会福祉大会において厚生労働大臣表彰を授与されました。戸敷宮崎市長から表彰状を伝達授与される楠元氏

厚生労働大臣表彰の賞状を手にする楠元氏。特別養護老人ホーム裕生園の副理事長室にて

宮崎市社会福祉協議会会長表彰を受賞した野村郁奈子さん。宮崎市社会福祉大会が行われた宮崎市民文化ホールの玄関前にて

本日より長寿園の面会を全面禁止にします。
投稿日:2020-02-28 施設名:長寿園からのお知らせ, 長寿園ブログ

ご家族の皆様へ

長寿園では現在、インフルエンザやノロウイルス、新型コロナウィルスなどの感染者はいませんが、

これだけ全国的に感染症が流行しておりますので、感染予防の為、2月28日時点から

「面会の全面禁止」にさせていただきます。ご迷惑をお掛けする事になりますが、

入所者の皆様の健康安全の為にご協力をよろしくお願いいたします。

長寿園 施設長

 

地域住民と辰元グループとの合同防災訓練をしました
投稿日:2020-02-06 施設名:信愛会からのお知らせ, 信愛会ブログ

令和元年2月5日(水)、辰元グループ敷地内のナナホールにて、飯田地区住民と辰元グループ職員との合同の防災訓練を行いました。
大規模な災害が生じた場合、近隣地区の住民が自主的に避難して来ることが予想されます。

私たち辰元グループとしても、普段からそうしたことを想定して準備をしておく必要があります。

この日、ナナホールにて、消防署から借用したビデオを視聴したあと、施設が備蓄している間仕切り用段ボールや簡易トイレを作成したり、いろいろな防災グッズの使い方を確認したり、非常食を試食したりしました。

有意義な防災訓練ではあったのですが、反省すべき点も大いにありました。

この日の合同防災訓練に向けて、地域住民を巻き込んだ準備ができなかったために、住民の方々の参加が非常に少なかったのです。

土日でもない週日の、しかも2月初旬の寒い時期ということもありましたが、もっと企画段階から施設と住民とが協働して取り組むことが大事であると、改めて痛感しました。

地域主体、自治会主体の防災訓練に私たちが側面から支援する、というスタンスが必要ではないか、と思いました。

そのために、早い段階から自治会と施設とが打ち合わせをして、防災訓練を協働して作り上げていく。そのプロセスそのものが既に防災力の向上につながっているのだと思います。

イベントとしての防災訓練ではなく、そこに至る過程をもっと重視すべきであることを改めて認識した今回の防災訓練でした。

ナナホールにて。参加者受付をしています


まず消防署から借りた防災ビデオの視聴


施設が備蓄している簡易トイレを組み立てました


実際に座ってみます。200㎏まで大丈夫とのこと


今度は間仕切り用段ボールの組み立てです


寝ごこちはまずまずです


施設保管の防災グッズの確認


簡易担架を試してみました


ドローンの試し飛行。映像はもちろん、音声をこちらから送りスピーカーで発声することも確認しました


管理栄養士による非常食についての説明


非常食を何種類か試食しました。意外においしいものもあり驚きでした

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