社会福祉法人 信愛会

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高木兼寛という人がいた②

(私たち社会福祉法人信愛会は宮崎市高岡町に位置していますが、ここ高岡出身で明治の日本の医学の進歩に多大な貢献をした人物がいました。高木兼寛(かねひろ)という人です。「ビタミンの父」と呼ばれていて、脚気(かっけ)の研究であの森鴎外と大論争を繰り広げた人です。)

 今年平成26年4月から、社会福祉法人信愛会は宮崎市高岡デイサービスセンターと宮崎市高岡老人福祉館「百寿荘」の指定管理を宮崎市から受託していますが、その高岡デイサービスセンター及び百寿荘のすぐ近くに高木兼寛生誕の地があります。

高岡デイサービスセンターの横を走る道路を数十メートル行くと、高木兼寛生誕の地があります

小高い山のすそに宮崎交通の高木兼寛生誕地入口のバス停

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バス停近くには高木兼寛生誕地を示す立て看板があり、そこから小高い山を少し登っていくと、高木兼寛を記念した「穆園(ぼくえん)ひろば」があります。この穆園ひろばはもともと、古い穆佐(むかさ)城の跡を高木兼寛を記念する公園にするために整備したものだそうです。

古い穆佐(むかさ)城の趣きが残る石段を登ると…

穆佐(むかさ)城址に整備された穆園(ぼくえん)ひろば。敷地はあまり広くありませんが、地域の方々が定期的にお掃除されているそうです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 古い穆佐(むかさ)城の趣きが残る石段を登っていくと、穆園(ぼくえん)ひろばがあります。敷地はあまり広くはありませんが、高木兼寛の銅像があり、草木が手入れされていました。地域の方々や高木兼寛顕彰会のメンバーが定期的にお掃除されているそうです。

公園の入口には高木兼寛の業績を紹介した看板があり、軍医姿の肖像画が示されています

穆園ひろばにある高木兼寛の銅像。こちらはアカデミックドレス。高木兼寛は日本で最初に博士号を授与されたうちの一人

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このように、ここ高岡は高木兼寛の生誕地であり、彼を記念する公園もあるのですが、私自身は最近まであまり関心がありませんでした。

 しかし、ひとたび関心を持つと、いろいろな事がわかり、それが更に広く深く関心を呼び起こす、といったような感じです。

 これからも少しずつ高木兼寛にまつわる話を書いていこうと思います。     (アッサン)

 

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