社会福祉法人 信愛会

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第20回「ビタミン街道歩こう会」参加記

令和4年11月3日(木)、文化の日、宮崎市高岡町穆佐(むかさ)にて髙木兼寛顕彰会主催の第20回「ビタミン街道歩こう会」が開催され、参加して来ました。

約50名の参加がありました。

この日は、朝のうちはすこし曇り空でしたが、次第に晴れて、昼前には少し汗ばむような陽気になりました。

髙木兼寛(たかきかねひろ)先生は、ここ高岡町穆佐の出身で、明治・大正の頃、日本の国民病と恐れられていた“脚気(かっけ)”の撲滅に大いに功績があり、のちのビタミン発見のきっかけとなる業績を残した人です。

「ビタミンの父」と呼ばれています。

日本でよりも海外において有名であり、1950年代にイギリスの南極地名委員会が、南極のある岬を髙木先生にちなんで“Takaki Promontory(高木岬)”と名付けました。

最近になってようやく、小中学校で使用する地図帳に「高木岬」の地名が載るようになったとのことです。

毎年、晩秋のこの時期に「ビタミン街道歩こう会」が顕彰会の主催で開かれて、今年で20回目を迎えました。

兼寛先生ゆかりの地をゆっくり散策し、文化の日にふさわしく所々で顕彰会メンバーによる歴史解説を聴き、ビタミンCたっぷりのミカン狩りをして、最後は協賛企業からの協賛品のおみやげまでいただくという、有意義な時間を過ごしました。

兼寛先生は「地霊人傑」という言葉を好んで使われたと聞いたことがあります。

その土地その土地から湧いてくる優れた地霊が、傑出した人物を作る、といった意味だそうです。

この歩こう会に参加して、穆佐の地ののどかな田園地帯、ゆるやかな丘陵を歩く時、この地だからこそ髙木先生が生まれたのだと、「地霊人傑」の言葉が思い出されるのです。

髙木兼寛先生の偉業を偲び、歴史に触れ、体を動かし、ビタミン補給もするというこの「ビタミン街道歩こう会」。

顕彰会の皆さんのご尽力に感謝するとともに、今後も引き継がれていくことを願っております。

本当にありがとうございました。

コスモスの咲く田んぼの横を歩いて行きます

 約50名の参加。6班に分かれて歩きます

顕彰会メンバーのはっぴには「病気を診ずして病人を診よ」の兼寛の言葉が。

 ゆるやかな坂もあります。これから穆園ひろばへ

 

穆佐城址につくられた穆園ひろばにて。顕彰会メンバーによる髙木先生の功績の説明

 穆園ひろばにある髙木兼寛像。穆園ひろばは地元の人たちや顕彰会によって整美されています

大工の棟梁だった兼寛の父によって造られた穆佐神社にて。顕彰会メンバーによる神社と祭神に関するプチ講義がありました

 みかん狩りのために自分の畑を開放してくださった高岡郵便局長の平原氏(左)

 みずみずしくておいしいミカンがいっぱい収穫できました。重いので、軽トラで運んでくださいました

 兼寛先生の母方の親戚のご子孫といわれる迫分(さこぶん)氏。顕彰会のメンバーの一人として活躍されていました

 最後に髙木家祖累代之墓にお参りし、中山会長からお墓の由来について解説がありました

 閉会式終了後、参加者に麦飯が配られました。この麦飯が多くの人を脚気から救いました。のちのビタミン発見のきっかけとなります

閉会式で完歩証が授与されました

 

 

 

 

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